報告が遅くなりましたが、2012年3月発行の中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第57巻(中国四国教育学会、2011年)に、拙稿が掲載されました。題目は、「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」です。論文構成は以下の通り。
はじめに
1.明治22年~24年の『大日本教育会雑誌』における教員記事
2.「教育者」の一員としての教員
(1) 教育を防衛・改良する「教育家」「教育者」
(2) 「教育家」の射程―教育会員、教育行政官、学校教員、教育学者
(3) 「教育者」としての共同意識の形成
3.教職意義の拡大・深化の試み
(1) 国民育成に関する責任内容の拡大―海軍の期待
(2) 待遇改善による教職への帰属意識形成
(3) 教職の独自性の肯定―自重心と「愉快」への注目
おわりに
題名をごらんになればわかる通り、この紀要でこのところずっと連作している「明治○○の大日本教育会における教師論」の新作です。明治20年~21年の教師論については昨年度の紀要に書いたので、その続きとして明治22年~24年までの教師論(教員関係記事)をまとめました。とはいえ、「明治20年代前半」と題しているので、前作をふくめた形でのまとめを試みてはいます。
教員が、教員としてだけでなく「教育者」として共同意識を形成することを求められたこと、従来(明治10年代後半以来)知識・技術面に偏っていた教職意義がこの時期に精神面でさらに追求されたことなどを明らかにしました。
教育者を教育防衛・改良者とみなすこの「教育者」論は、もう少し前の時期にも見られますが、この時期のものは明治23年の全国教育者大集会開催に直接つながったことに意味があると思います(すなわち後の全国連合教育会へもつながる)。なお、本稿でみた「教育者」論は、先に検討したことのある明治20年代~30年代における「教育者」論(おもに教育学書におけるもの)と、かなり趣旨を違えています。いずれにしても、明治期教育者論研究をさらに深められたように思います。
また、先行研究(中内敏夫・田嶋一、寺昌男)も指摘してきたように、教職意義の精神面を追求する教師論は、この時期(明治中期)において、やっぱり「新しい」教師論だったようだ、ということを改めて確認できました(その直前の教師論の主流は、原理的知識・教授技術熟達等の追求だった)。
さらに、従来なかった教師論として、海軍の期待によるもの(国民教育としての海事思想養成の担い手を求める教師論、提唱者は有地品之允少将と肝付兼行大佐)があったことを指摘できました。教師論の転回に海軍が関わっていたということは、あまり聞いたことがないので、大事な指摘だと思っています。大日本教育会・帝国教育会は、肝付兼行を幹部にすえて海軍と安定した結びつきを持っていたので、両教育会史研究上にも重要です。
とまあ、こんな感じの論文をまた書きました。興味がありましたら、ぜひ読んでみて下さい。手に入れにくい紀要ですが、国会図書館には入っているはずです。
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