老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

植物とのふれあいの中で ⑦  ~除虫菊(シロバナムシヨケギク)・蚊取り線香 その2~

2016年06月26日 19時47分07秒 | 園芸福祉・植物とのつながり
 私にとっても蚊取り線香や除虫菊には、個人的に色々な思い出があります。

◆私が社会人になって最初に配属されたのは、商社の神戸支店“食糧課”だったのですが、この時に蚊取り線香の輸出も扱っていました。
当時はベトナム戦争が激しい時期でしたが、蚊取り線香は何故かベトナムに多量に輸出されました。如何に民需品とはいえ戦争地への物資供給は少し躊躇もありましたが、まさか蚊取り線香(Mosquito Coil)で人の殺傷はできないはず、逆にマラリア予防にも効果的で民生に貢献するはずと割り切った記憶があります。
また、ベトナムへの蚊取り線香の製造機械の輸出の話が舞い込み、食糧課で機械類一式の商談をまとめた記憶もあります。

(※ 食糧課で蚊取り線香??と不思議に思われるでしょうが、除虫菊製品は野菜や各種農産加工品と共に、当時は「日本農産物輸出組合」の輸出承認が必要な物資で、この組合の窓口になっていた食糧課が担当したという経緯があり、後で紹介する樟脳なども同様でした)

◆こんな縁で、和歌山県有田市にある工場にも再三足を運びましたが、先日覗いた大日本除虫菊のホームページでは、型抜きや乾燥などの主要工程がいまだにこの当時のまま継続されている様で非常に懐かしく思いました。

◆暫く後に当時の建設省が募集した海外技術進出案件で“除虫菊生産の主要地である東アフリカで香取線香を製造し、当時の大消費国である西アフリカのナイジェリアに輸出”という私たちの企画が通り、現地調査に出かけました。
初めての海外出張がアフリカのケニア/タンザニア/ナイジェリアに1ヶ月以上というのは、当時はまだ持ち出しできる外貨額の制限があったこともあり、少しきつかったですが、ケニア/タンザニアで英国系の会社によるプランテーションとして除虫菊が大規模栽培をされているのを見て、驚いたことが印象に残っています。

 また、この時にナイジェリア北部のKANOという都市まで行きましたが、丁度サハラ砂漠の南の端で、町の郊外に砂漠が広がっているのが強く印象に残っており、その影響で最近になりサハラ砂漠の北の端であるチュニジアチュやモロッコなどへの興味が盛り上がり、現地に足を延ばすようになりました。

 このように因縁の深い除虫菊ですので、先日の「しまなみ海道」への旅行では、因島での除虫菊を見ることを大きな目的としていましたが、生憎と少し遅かったようで、私が因島に着いた2日程前に全て刈り取られていて、わずかにフラワーセンターに残っている花を見ることができました。(まさ)

蚊取り線香の型抜きと乾燥ネットへの移動(大日本除虫菊㈱のホームページより)