老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

植物とのふれあいの中で ⑥  ~除虫菊(シロバナムシヨケギク)・蚊取り線香  その1~ 

2016年06月20日 22時53分18秒 | 園芸福祉・植物とのつながり
 夏には欠かせない蚊取り線香。蚊は塩分とアルコールの匂いが大好きと言われており、大汗かきでアルコールの好きな私などは格好の標的になるようで、夏の睡眠時や花壇での除草作業時に、蚊取り線香は必需品です。
蚊取り線香は、随分昔から身の回りにあるような気がしますが、その歴史は意外に新しく、大正時代までは、よもぎの葉、カヤ(榧)の木、杉や松の青葉などを火にくべて燻した煙で蚊を追い払う蚊遣り火(かやりび)が一般的だったようです。

 蚊取り線香の歴史は、1886年(明治18年)に和歌山県の上山英一郎氏(大日本除虫菊株式会社の創業者)がキク科植物の除虫菊の種子を入手して栽培を始めたことに由来し、この除虫菊の花に含まれる有効成分のピレトリンは燃焼することでその効果を発揮することから、1890年頃に仏壇用の棒状の線香に練り込んで使用され始めました。しかし20cm程度の長さなので燃焼時間が短く、また火災の危険もありました。

 これが現在の様な渦巻き型の蚊取り線香に改良されたのは1895年のことだそうですが、これにより長さが70cm以上、燃焼時間も5~6時間と長くなり、飛躍的に普及したそうです。
≪因みに、当初は人間の手で渦巻きにされていたようで、1957年(昭和32年)頃から機械で型抜きされるようになったようです。≫

 その後、蚊取り線香原料としての除虫菊は、二つの世界大戦の戦間期に、主産地として和歌山、愛媛、香川、岡山、北海道、広島に拡大し、第二次世界大戦中までは日本が世界一の生産国でした。特に、瀬戸内海沿岸各地の段々畑で多く栽培され、因島や小豆島では耕地面積の多数を占めていました。私も小学生の時に、除虫菊がミカンと共に日本の瀬戸内海性気候の代表作物であると学んだ記憶があります。

 しかし、戦後は食料増産が必要となり、除虫菊の栽培面積が激減するとともに、ピレトリンの合成品であるピレスロイドが使われるようになり、ケニアなどで殺虫剤の原料として栽培されてはいるものの、日本では産業用としての栽培は行われなくなり、現在ではわずかに因島などで観光用として栽培されているに過ぎません。また、花壇などでは、白花ではなく品種改良されたカラフルな除虫菊が見られるようになっています。

 蚊取り線香の有効成分は天然物から合成品に代わり、また防・殺虫剤としては、エアーゾールや電化製品なども新しく出てきましたが、発明後100年以上の年月を経ても、家庭用殺虫剤として、形状もほとんど変えないまま続いているのは、この技術革新が激しく、年ごとに商品が入れ替わるような昨今では驚異的なことだと思います。それだけ効果と使い易さが優れているからでしょうし、ゆらゆらと立ち上がる煙と独特の匂いは、日本人にとっては真夏の風物詩だと思います。また近年はバラの香りの線香が新しく販売されるなど、新しい企画もあり、この商品の寿命もまだまだ続きそうです。(まさ)

除虫菊の花(因島フラワーセンター前で)