老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

経済・財政などに関する素直な疑問 ~経済成長は絶対的なルール?~

2016年06月09日 20時05分10秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
 私の場合、自分から選んだ数回の転職をしましたが、最低限の水準とは言いながらも何とか厚生年金を受給しているということで、少しは恵まれている立場にいるとは思うのですが、この国の予算編成や経済政策などについて、素朴な思いを記します。
(※この内容については、昨年読んだ「人類資金」(福井晴敏著 講談社文庫)に刺激されるところが多くて、参考にさせていただいた部分が多いかと思います。)

◆現在の経済・財政政策は、「経済の成長」があたかもルールであるかのように、これを前提にしているようですが、果してこの前提条件は絶対的なものでしょうか?
少子高齢化で人口減少傾向が鮮明になった国内では、今までの最大の需要層だった団塊世代が現役引退し、日本における “モノ”の需要は、どう頑張っても減少傾向ですし、他の先進国や中国でもこの傾向は避けられないでしょう。

◆この“モノ”需要の減少は、生産量の減少や不動産需要への減少に結びつくでしょうし、これらをカバーするだろうはずの“サービス”部門については、一時的には高齢者に対する分野では増えるかも知れませんが、長期的には人口減少という傾向が続く限りは、総需要は減少するとしか思えません。
更に、間違いなくこの需要減に拍車を掛けているのが、国民の消費に関する考え方でしょう。
即ち、“かっての何でも欲しいという時代ではなくなり、一応そこそこのものは手に入ったし、余り機能も変わらないのに、次々と新商品を出されても買い替えの興味が無い。逆に現在の政府の政策を見ていると社会保障もますます低下しそうだし、老後の生活の不安や、子孫のために少しでも遺しておいておきたい。”という心理でしょう。

◆現在の我が国の経済政策は、あくまで需要喚起とデフレ脱却によるDNP拡大でしかないと思えます。
莫大な財政赤字を抱えている政府としては、もはやこれ以外に頼る途はないのかも知れませんが、庶民感情としては<>です。
・現在の経済政策では、まるでデフレは悪者扱いですが、果してそうでしょうか? 過大な供給過剰で、デフレ・スパイラル(螺旋)に落ち込むのは困りますが、今までの高物価が是正され、需要に合った物価に落ち着くのなら、適正なデフレは大歓迎です。
・むしろ問題は、企業の生産能力が需要をはるかにオーバーしており、海外の需要を当てにしていることでしょうが、これも後進国の経済発展と共に、ある時期見直しを余儀なくされるでしょう。

企業の生産高の下方見直しや株主資本利益率の低下は、この資本主義社会では絶対的な禁句で、仮にそのようなことを口にすれば、経営者の首が飛ぶことになり、産業界と密着した政府でも同様な思考でしょう。
しかし、冷静に見て見ると、もうモノの供給を絞って行くしかない所まで来ているのは避けがたい事実で、経済拡張という悪あがきに近いような夢を追うのではなく、そろそろ我が国や世界の将来を見据えた新しい価値基準の構築が必要なのではないでしょうか。厳しくて苦しいけれど「マイナス均衡」への模索を考えるのが、政治家や経済学者の仕事ではないでしょうか。(まさ)