老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

伊勢神宮に思う  ~伊勢神宮の価値観とは?~

2016年06月07日 20時37分58秒 | その他
 今回の日本におけるサミットは伊勢の賢島で開催され、我が首相は参加の各国首脳を伊勢神宮に招かれました。その大きな目的は“日本の精神性に触れていただく…”とのことだった様ですが、果していかがだったでしょうか?

 この件に関しては、5月30日付毎日新聞の「風知草」(山田孝男氏)に、非常に興味ある意見がありましたので、これを紹介がてら伊勢神宮の価値観とやらを考えて見たいと思います。

◆一般的に欧米人の建築への価値観は、その古いが故の情緒にあり、式年遷宮として20年毎に建て替えられる伊勢神宮の社殿には情緒を感じることはなかったでしょう。
事実、京都や奈良に古刹や街並みに魅力を感じる外国人観光客は多いが、伊勢神宮の評価はそれほどではありません。

◆我が首相の狙いは、日本の精神性を感じていただくということだったが、伊勢神宮の精神性とは何でしょうか? 憲法改訂を公言し、「美しい日本」とか訳のわからないことを発言する首相の心には、一般的には国体維持という言葉に現わされる、言わば“神がかり的、或いは国粋主義的な精神性”ではないのかと推測されます。

◆しかし、生物学者である本川達雄東工大名誉教授が「生物学的文明論」などで説かれる、伊勢神宮の式年遷宮に対する考え方の方が、我々日本人にはより受入れ易いのではないでしょうか。
即ち、太古の建築様式を繰り返しコピーし続けるのは、死んでも続いて行くという古代人の生命観を建築で表現したものだと考え方で、「伊勢神宮は遷宮の度に巨大化したりしない、遷宮は循環と安定を象徴し、循環型社会の大切さを現わしている。現首相や我々世代が選んでいる様な、現世代の安逸を優先し、子孫に借金を遺すような悪循環を断つこと」が伊勢神宮の精神性だと考えるべきではないでしょうか。(まさ)