東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

上関町 大津の矢櫃(やびつ)神社と平家塚を見学

2016年12月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先日、上関町の矢櫃神社に行ってきました。上関と柳井を通過するときに、いつも気になっていた神社でした。大津地区の方々が守っている小さな神社です。ですが、変わった名前の神社なので気になっていました。私が若い頃、丹沢山にある同名のヤビツ峠によく行きました。そのこともあり、そのヤビツが引っかかっていたのです。神社の由来を読むと、明治時代初期に近くにあった千葉城の中腹から移設したそうです。その中腹には刀や矢が奉納されていたとか。矢が奉納されていたのであれば、その矢を入れる矢櫃も奉納されていたに違いありません。その矢櫃が、この神社名の由来のようです。

             上関町大津の矢櫃神社


 実は、9月に大津にある千葉稲荷社に行きました。海に突き出た小山の上にある千葉稲荷は、かつて城だったとの話があります。源平合戦時、この近くで激しい戦いがあったそうです。源平合戦の逸話がこの付近にたくさん残されています。そして、きわめつけが、この矢櫃神社の裏山にある平家塚と呼ばれる不思議な塚です。その塚に行ってみました。

  矢櫃神社の本殿      矢櫃神社、左の狛犬      矢櫃神社、右の狛犬
  

 源平合戦時、室津半島でたくさんの平氏が討死にしたとのこと。その亡くなった平氏を弔うための墓ではないかとのこと。その塚まで行ってみると、そこかしこに不思議な塚があるではありませんか。大津の方々が代々800年近く守り続けた塚とのこと。

      このような塚があちこちに、管理放棄された塚も近くにたくさん


 2基はきれいに掃除してありましたが、その他たくさんの塚は笹に覆われて放棄状態でした。近くに住む方にお聞きすると、過疎化に伴なってすべての塚を管理するのは困難になったとのことでした。かつては、この塚から山に向かってたくさんの広大な棚田があったそうです。


              比較的よく管理された塚


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