東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施川の源流ウォーキングのための調査(1/3)

2013年06月06日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今、田布施川沿い史跡めぐりウォーキングを2ヶ月毎にしていますが、最後は田布施川源流ウォーキングで締めようと思っています。そこで、源流と思われる場所をあちこちバイクで調査のため散策してみました。まずは、田布施町の大波野から光市の塩田に向かいました。その塩田佐田の北から流れてくる川を上流に行ってみました。

      塩田の佐田付近の細い流れ       佐田と岩国市との中間地点の流れ
 

 上流に行くと川はだんだん細くなって、光市と岩国市との境近くになると流れが無くなりました。一番上流には半円の田んぼがあり、そこで流れが途絶えていました。ここが田布施川源流の一つのようです。その田んぼから100m位山道を登ると、光市と岩国市との境の峠です。

                    この半円の田んぼで、川の流れが途絶える


光市と岩国市の境の峠から北は、豊かな田園風景が広がっていました。光市側は山と山に挟まれて狭い田んぼばかりでしたが、峠を越えると広々とした田園でした。田んぼではトラクターが代掻きをしていました。もうすぐ、田植えが始まるようです。

    手前は光市、向こう側は岩国市        田んぼで代掻きしているトラクター
 

 岩国市に入ると、広々とした田んぼを横切って田布施町の小行司に入りました。最初、道から坂道を上がった場所にある喰道農村公園に行きました。この場所は、昭和44年に廃校になった小行司小学校跡地ではないかと思われます。ここからは、横切ってきた岩国市の広々とした田んぼが見渡せます。

                   田布施町小行司の喰道農村公園


 喰道農村公園で休憩すると、坂を降りて今度は何度も行った多賀神社に行きました。今回はバイクですが、下見の時は歩いて行く予定です。喰道農村公園からしばらく南に行った場所に、多賀神社への山道の道しるべが立っていました。ここからは山道に入るため、バイクでは行けません。今回は、舗装道路を通って多賀神社に向かいました。

      多賀神社への山道の道しるべ          舗装道路から多賀神社へ行く道
 


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