北八幡神社を出ると、次に保井寺に行きました。行った理由は、新選組の一隊員のお墓を見るためです。その隊員は斉藤一諾斎(いちだくさい)です。あまり有名ではない新選組隊員です。その理由の一つは、幕府が鳥羽伏見の戦いで敗れて以降に入隊したからではないでしょうか。
新選組斉藤一諾斎(いちだくさい)の墓地がある保井寺
斉藤一諾斎は遅く入隊したため、あまり武功を立てることができませんでした。その後、彰義隊に入り仙台で降伏しました。明治7年に62歳で亡くなったそうです。同じ新選組隊員斎藤一(はじめ)とよく間違えられるとのこと。亡くなる前、この地域の寺子屋で教育にあたったそうです。
斉藤一諾斎の墓 たくさんのお地蔵様 懐かしの寺芝会館
その保井寺墓地の上の方に、ひときわ目立つ金毘羅供養洞があります。その供養洞前に、何故かワニの石像が2体置いてありました。その近くに説明板がありました。その説明を読んで初めて金毘羅の意味が分かりました。金毘羅は、インドにおいてワニの化身神(クンピーラ神)の漢字の当て字なのです。金毘羅がワニの化身神であることを、どれほどの人が知っているでしょうか。
堀之内芝原公園(通称:古墳公園)
続いて、寺芝会館前を通りました。15年前(2000年)に寺芝会館の広場で収穫祭を開催したことがあります。この頃は、住宅の開発前でしたので周りは畑ばかりでした。私は、もちをついたり、サンマを焼いたり、写真を撮るなどしました。子牛を連れてきて子供達に触れ合ってもらいました。今は広場も無くなり、なんとなくさびしい会館に変わっていました。
堀之内芝原公園の頂上 人型モニュメント?の公園入口
続いて堀之内芝原公園に行きました。この公園は、この地区で多くの縄文遺跡など出土したことに由来します。それを意識して公園化したのではないかと思います。公園の中央は、円墳を模しているように思えます。なお、この地域から出土した遺跡は多摩センター駅近くにある東京都埋蔵文化財センターに納められています。堀之内芝原公園を散策している頃、下剤薬のためお腹がグルグルしてきたため我家に帰りました。さて次の日は、大腸内視鏡検査です。
ウォーキングした八王子堀之内近郊
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