東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷 納涼盆踊り大会 2013 に参加して

2013年08月11日 | ふるさと



 田布施町麻郷の納涼盆踊りに参加してきました。去年はただ見学した程度でしたが、今年は麻郷ふるさと会に入った関係で盆踊りの太鼓や歌の練習に参加しました。このため、当日の昼頃からお手伝いしました。早朝8時頃からお手伝いのはずでしたが、用事があったためだいぶ遅くなって11時頃からのお手伝いとなりました。すでにやぐらやテント類は完成していました。

      ほぼ完成したやぐらや提灯            受付や各種屋台などのテントも完成
  

 午後5時頃に最後の準備です。最初、駐車場にロープを張る作業をしました。ロープを張った場所は、花火を打ち上げた直後にその残骸が落下する場所です。その場所に車が入らないようにとの配慮です。その頃、熱く焼けた会場に給水車が来て散水しました。この散水で少しは気温が和らぎました。その後、大太鼓をやぐらの上にセットしたり、やぐらの下に小太鼓をセットしました。これで、納涼盆踊りの準備ができました。

             会場に給水車が水をまき、少しは気温が和らぐ


 盆踊り本番直前、太鼓をたたく子供達や役員の方々に簡単な食事が配られました。私もおにぎりをいただきました。ありがとうございました。その後、受付に行って抽選券とうちわをいただきました。今年からのイベントですが、今年から5年間(2013~2017)連続して盆踊りに参加してうちわをもらい続けると、5年後に何か良いことがあるとのことでした。景品でもあるのでしょうか。

      太鼓をたたく子供達に食事              麻郷嵯峨音頭の歌詞入りうちわ
 

 本番前に、衆議院議員など来賓の方々の挨拶がありました。続いて納涼盆踊りの開会挨拶があり、今年の盆踊りの始まりです。ところで、私が子供の頃は地区ごとに盆踊りが行われていました。このため、高塔地区に住んでいた私は、高塔地区の盆踊りだけ参加していました。このように地区ごとの盆踊りはありましたが、今回のような麻郷地区全体の盆踊りはなかったように思います。地区ごとの盆踊りを吸収しながら今の形になったのではないかと思います。

      開催前に、来賓の方々の挨拶            はっぴを着た私と、同級生N君
 

 納涼盆踊りはまだ明るい時刻からの開催です。薄暗くなるにつれ提灯が明るくなります。最初、嵯峨音頭からのスタートです。去年と違うのは、去年は炭鉱節がありましたが、今年は室町時代の念仏踊りが発祥らしい嵯峨音頭と最近できた田布施音頭の二種類だけです。

              提灯が少しずつ点りはじめる中、盆踊りを開始


 どこの盆踊りも同じだと思いますが、踊りの会場をとりまくようにお店や屋台が並びます。カキ氷,綿菓子,焼きそばなどです。盆踊りが始まる前に、百円分の引換券(食べ物,飲み物用)を五枚いただきました。しかし踊ったり知人と話しをしたりしているうちに、すっかり引換券のことを忘れていました。ポケットに入れていたその引換券五枚、家に帰ると汗でびっしょり濡れてくっついていました。

    とても丁寧に作られた引換券
      使うことを忘れてしまう               綿菓子屋さんに並ぶ子供達
 

     カキ氷のお店、美味しそう              焼きそばと焼肉類のお店
 

 20年位前のことですが、私は八王子のある団地の盆踊りの総責任者になったことがあります。その時は、半年位以上前から準備をしました。会場警備のため警察を訪れたり、消防署に届けたり、仮設トイレを設置したり、踊りの講習会開催のため踊りの先生に講習を頼んだり、地域や介護施設で暮らす高齢者のために車椅子OKな特別招待席を設けたり、景品交換のための引換券をパソコンで作って印刷したり、破れたテントを事前に修理したり、やぐらや電気設備の設置を頼んだり、団地内でだけ通用する地域通貨も作りました。

               あたりがだんだん暗くなって、盆踊りらしい雰囲気に


 今でこそ地域通貨は珍しくありませんが、その団地内通貨が使えるようお店と交渉するなどしました。1万円,5千円,3千円相当の通貨を作りました。その通貨の条件は、有効期限が盆踊りの日から8月末日まで、使えるお店は団地内のお店だけとしました。通貨と言うよりも商品券に近いものでした。団地内のお店だけしか使えないため、お店の方には好評でした。普段、団地のお店をあまり利用したことがない方にも団地内のお店をより知っていただき、今後も団地内で買物をしていただくための地域活性のアイデアでした。

             練習したとおりに、上手に太鼓をたたくことができました


 ある盆踊りの思い出があります。私が入社したばかりの22歳の時で、岐阜県のテレビ製造工場で研修を受けていた頃のことです。夜間高校生だったY君と、とても親しくなりました。その夏、Y君の実家に遊びに行くことになりました。その実家は、岐阜県奥の加子母(かしも)村と呼ばれるとても山深い村にありました。その実家は古い茅葺屋根で、お聞きすると江戸時代に建てられたとのことでした。食事は、テーブルでするのではなく、板の間に正座かあぐらをくんで座りお膳でした。醤油は自家製で、お味噌を作るときに醤油も仕込むとのことでした。各部屋には仕切りがほとんどなく、服を着替えるときは衝立を使っていました。建物も生活も、明治か江戸のようでした。こんな生活をしている人々がいるのかと驚きました。
 そのひなびた村で、古くから踊られていたのが「郡上(ぐじょう)踊り」でした。テンポがとてもゆっくりとした踊りです。村人と輪になって踊ったことが思い出されます。次の日、仲良くなった小中学生と川で遊んだり、鮎を取ったりしました。その村は桃源郷だったのでしょうか、親切な村人達,天真爛漫な子供達,綺麗な娘達・・・・懐かしき若き日の盆踊りの思い出です。

             そろそろ盆踊りも終盤、みんなそろって麻郷嵯峨音頭を楽しむ


 盆踊りは午後8時頃終わりました。終わる直前に、大空に何発もの花火が上がりました。花火が終わると、いよいよ抽選会の始まりです。私の抽選券番号は222番でしたが、残念ながら当たりませんでした。特等は自転車で、そしてLED電球,お菓子の盛り合わせなどたくさんありました。

 抽選会の始まりです、当たるといいな!          張り出された当選番号
 

 抽選会が終わると後片付けをしました。最初に太鼓類を公民館内にしまいました。次に、マイク,スピーカー,アンプなどを倉庫にしまいました。そして、やぐらを解体して提灯を片付けました。テント類は自治会関係の方々が片付けました。盆踊り関係の役員の方々、お疲れ様までした。太鼓をたたいた子供達も、これまでよく練習して頑張りました。午後9時頃に片付けを終わって我家に帰りました。

      やぐらを解体して軽トラで移動            提灯をはずして、来年のために保管
 


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