東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

須金フルーツランドと鹿野周辺を散策(1/2)

2022年10月17日 | イベント,行事

 時期遅れの10月中旬、須金フルーツランドと鹿野方面の散策に行ってきました。ブドウなどの果物はもう買えないだろうと思っていました。ですが、ふれあいプラザ須金にかいたファームコーナーがありピオーネが置いてありました。即刻購入しました。
 須金フルーツランドに来た理由は、かいたファームさんの羊に一年ぶりに会うためです。10月上旬に閉園とのことでしたが、たまたまご主人が草刈りをしておられました。ご厚意により羊さんに会うことができました。ありがとうございました。ところが、つい一週間ほど前に羊さんに悲しいことがあり、今はきなこ一頭だけとのこと。仔細を聞いて悲しくなりました。かいたファームを去る時、きなこがべーべーと悲しそうに鳴いていたのが耳に残ります。

         一頭だけになった羊のきなこちゃんを見つめて


 実は、かいたファームさんには誰もいないのではないかと思っていました。そのため、羊さんを遠目に見るだけにしようと思っていました。ところが、ご主人がおられた上にご厚意もあり、ブドウ園の扉を開けていただき羊さんを一年ぶりに見ました。その扉は新しくなっており、上に電線が通っていました。お聞きすると猿除けとのこと。猿は柵に登って侵入してきますから。また、一部に自動の草刈機を導入したそうです。家庭用のルンバのような機械なのでしょう。省力化のための機械のようです。

  ふれあいプラザ須金  かいたファームコーナー   果物外の商品も物色
  

 羊のきなこちゃんを見ながら、ご主人にブドウ園の経営などについてお聞きしました。その時、私が子供の頃に家が酪農を経営していたことをお話しました。父親が乳牛1頭から始めた酪農は、最後30頭位にまでに規模を拡大しました。当時、子供の私はいやいやながらも乳牛の世話をしていました。
 ところが、経営拡大すると人を雇ったり機械化したりせざるを得ず、経費が収入を恒常的に上回るようになりました。そこで、酪農を続けるか止めるかで家族内で葛藤がありました。経営を続けるために農協に出資依頼した人もいたようですが、酪農失敗で財産を全て取られた人がいたと聞きました。我家は早めに酪農から撤退しました。傷口が広がらなくて良かったと思います。

     かいたファームに到着       一人ぼっちのきなこちゃん
 

 お米や牛乳は、どうあがいても単価(米価や乳価)を上げることが難しいのです。そのため、規模を拡大しないと経営がなりたちません。ところが、牛乳でも単価が高いジャージー種に転換した上で、より単価が高いアイスクリームに転換した牧場主に成功した方がいます。須金フルーツランドは、先人の苦労の上でブドウや梨などの品種改良したりブランド化したことで、単価向上を図り生き残ることができたのではないかと思います。
 これらのことは日本全体に言えると思います。単価引き下げだけでは必ず大手企業に負けてしまいます。スイスの時計やフランスのワインのように、ブランド化が生き残る方法の一つだと思います。例えば、時計の機能だけならば100円ショップの腕時計で十分です。しかし、30万円の腕時計はもはやブランドの塊で宝石です。

   鹿野に行く途中、採石場を見学     ダンプの動きや砕石を見学
 

 かいたファームさんを出ると、鹿野方面に向かいました。舗装されているものの狭い山道を通りました。採石場から出入りする大型トラックと時々すれ違いヒヤヒヤしました。その採石場で車を止めて、巨大な働く車を見学しました。専用の巨大なダンプが200m位の高さの山頂まで急坂を登っていました。その他に、シャベルカーなどの車がせわしなく行き来していました。その後、両側の山が迫るような山道をしばらく走っていると鹿野に着きました。

          訪れた須金フルーツランドや鹿野周辺


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