東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

山口県へ帰省

2011年08月15日 | ふるさと



 8月14日、約半年ぶりに山口県に帰省しました。いつものように橋本駅からJRに乗り換えて、新横浜駅で新幹線に乗りました。新横浜で、弁当とお土産を購入しました。お土産はだいたい2個程度なのですが、今年は3個買いました。

      橋本駅でJRに乗り換え            帰省客で混雑する新横浜駅
 

 私が高校を卒業して東京に来たときには、新幹線は新大阪までしか通じていませんでした。このため、いつも新大阪で急行などの列車に乗り換えていました。新大阪駅でいったん降りて、昼食を取ってからその列車に乗り換えていました。

           徳山駅手前の石油コンビナート、これが見えるとそろそろ下車


 その後、九州まで新幹線が伸びました。今はのぞみ号が走るようになって山口県までの時間がとても短縮されました。それまで、帰省に一日かかっていましたが、今は半日です。便利になったのは良いのですが、途中下車する楽しみが減ったように感じます。

      徳山駅で新幹線を下車           田布施駅で駅舎の外に出る
 

 新幹線を降り普通列車に乗り換えて、田布施駅で降りました。この駅舎からはいつも歩いて家に向かいます。真夏のためとても暑いのですが、町がどのように変わっているか少しでも知るため必ず歩いて帰ります。去年の帰省の時と同様、今年も猛暑の田舎でした。

      田布施川から南方面を見て         音楽が鳴る川のたもとで休憩
 

 歩いて帰るときに必ず立ち寄るところがあります。田布施交流館です。この館で冷たいジュースなどを飲んで体を休めてから、再び歩き始めます。この町で取れたり作ったりする産物が並んでいます。ところで、この地域は、1500年ほど前の古代は海岸でした。このため、この付近には砂地がとても多く、「砂田」とか「波野」とか海にまつわる地名が多いのが特徴です。田布施の地名も、もともとは「田布瀬」だったとか。

        野菜が並ぶ田布施交流館        古代の砂浜跡?で育つイチジク
 

 交流館をしばらく進むと、私が子供の頃に松並木だった道に出合いました。今は無き松並木は、数百年前に昔の海と陸地を隔てる堤防だったのではないかと思います。松は潮風にとても強く根もしっかり張りますので、堤防を守るのには都合が良かったのでしょう。

                数十年前まで松並木だった道、大昔の堤防か


 旧松並木を過ぎてしばらく歩くと、旧麻郷中学校跡に着きました。私が幼児の頃に町村合併で田布施中学校に統合されました。その旧校舎で子供会があったり大人や子供を集めた映画会がよくありました。今でも覚えています。その後大きな養鶏所になりました。今その場所には機械製造メーカーがあります。

  旧麻郷中学校跡の機械製造メーカー        旧麻郷中学校の運動場跡  
 

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