東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキング(3/4)

2024年09月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 茶臼山古墳で昼食休憩を済ませると、大屋団地に行きました。10年以上前でしょうか、この団地では子供の声が聞こえたり、ベランダで洗濯物を干す姿が見えました。しかし、今回団地周辺を歩いて子供の声はしないし、どの団地も空き家ではないかと思うほど静かでした。
 続いて、荒神山に行きました。大屋団地から直接荒神山に行けたのですが道がふさがっていました。今は古い住宅を経由して行くしかありません。その住宅は長屋で町営か県営ではないかと思います。まだ数家族が住んでいるようです。その住宅のすぐ上に荒神山があります。その荒神山入口には鳥居があるため、かつては神社があったのにちがいありません。今は小さな祠だけがあります。

            荒神山の奥に鎮座する小さな祠


 荒神山入口の石階段を登り鳥居をくぐると草地が広がっていました。平らで結構な広さです。かつては荒神様のお社がありその参道だったのではないでしょうか。その参道には草木が生えていて何年も手入れされていないようです。住宅に住む人が少なくなり管理できなくなったのではないでしょうか。鳥居には明治三十年代の年号が彫られていました。明治から大正にかけてとても賑やかだった神社のようです。手水石が残るなど当時の面影を残しています。

  静かな大屋団地      県営か市営の長屋    草木が生える参道
  

 荒神山から柳井市街を見下ろすことができます。明治時代には市街から離れた場所にあった住宅だと思われます。長屋住宅が手狭になり昭和の時代に大屋団地が作られたのではないでしょうか。ところで、大屋団地は茶臼山古墳に行く時にしか通りません。平生町で大屋団地終点のバスをたまに見かけることがあります。そのバスを見るたびに大屋団地や茶臼山古墳を思い出します。

石段を登り荒神山入口の鳥居をくぐる     荒神山から見下ろした柳井市街
 

 ところで、県営か市営の長屋を見るととても懐かしくなりました。私が結婚した最初の住居が長屋だったからです。青梅市営の二階長屋でした。近くに地方裁判所があり、その裁判所の脇を通りながら出勤したものです。
 当時は青梅駅始発の電車に乗って一時間半位かけて東京田町にある第五世代コンピュータ開発機構ICOTに勤務していました。今で言うAIの仕事をしていました。40年前にすでに日本はAIの研究に着手していたのです。まだマウスもなく、Windowもなく、パソコンも無い時代でした。しかし研究着手が早すぎました。ハードウェアが追いつかなかったのです。
 そのICOTのWGメンバーの一人に国産OSのTRONを開発した坂村氏がいました。今TRONは産業OSの標準規格になっているそうですが、当時米国の圧力により流布が頓挫してしまいました。その結果Windowsが世界に普及してしまいました。TRONがオープンソースだったことが圧力原因だったのかもしれません。アメリカ企業であるMicrosoftのWindowsを伸ばすためアメリカは圧力をかけたのでしょう。今もそうですが、日本は米国の圧力に本当に弱いです。アメリカの属国と言われるゆえんですね。

        柳井東方面の史跡巡りをしたウォーキングルート

コメント
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