東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

山口県へ帰省(その2) 大星山,上関の散策

2010年08月07日 | ふるさと



 山口県へ帰省して二日目の8月7日、バイクで平生,上関方面を散策しました。最初に去年の夏にも登った大星山にバイクで登りました。昔は山道しかありませんでしたが、今では尾根沿いに舗装道路ができており車でも楽に登れます。大星山の手前には箕山(みやま)と呼ばれる山があります。

      大星山から、佐合島,牛島,馬島,手前に佐賀港を見下ろして


 小学校の頃に、同級生と平生から箕山(みやま)を経由してこの大星山に登ろうとしたことがありました。ふもとまでは自転車で、途中からは徒歩で沢伝いに上りました。しかし、当時は道が整備されていなかったため結局登頂できませんでした。11歳頃のことでした。

                        左から、上関,祝島,佐合島,牛島,馬島,麻里府


 大星山の頂上には数年前から発電用の風車が設置されています。直径が50mにもなる巨大な風車です。その風車がこの山の周辺に6台程度設置されています。風が強く民家から遠いので設置されたのだと思います。資金は平生町が出しているようです。

      大星山頂上の巨大風車          上関の上盛山展望台
  

 大星山からは西の眼下に佐賀港が見下ろせます。子供の頃に遠足で行った元歌が浜も見下ろせます。この付近の海には、50年ほど前に船の解体工場がありました。第二次世界大戦で使われ廃易となった戦艦や航空母艦がびっしりと並んで浮かんでいました。その船を解体する音が響いていました。その解体の様子を山から写生したことを覚えています。

    50年ほど前、廃易となった航空母艦などが解体を待っていた海


 天気が良かったのか、今回はとても海を遠くまで見通せました。西方面を見ると牛島の向こうに九州大分の国東半島がうっすらと見えました。南方面を見ると、上関の向こうに四国の山々がうっすらと見えました。九州や四国をとても身近に感じられるほど無数の島々が見通せました。

     牛島の向こうに国東半島       上関の向こうに四国の山々
 

 大星山から東の眼下を見下ろすと柳井方面が広がっています。ここからは柳井,大畠,大島,そして広島方面を遠望することができます。手前のふもとは伊保庄(よのしょう)です。伊保庄は私の親戚があったため子供の頃によく行きました。

    大星山から、柳井,大畠,笠佐島,大島,,手前の伊保庄を見下ろして


 大星山を降りると上関に向かいました。途中、山腹にある光輝病院の横を通り過ぎ、阿月を見下ろしながら下りました。天気がとても良かったためか、空や海の青さと山々や島々の緑がとても映えて綺麗でした。しばしバイクを止めて、景色を眺めることしきりでした。

      山腹にある光輝病院        阿月の造船所と海向こうの大島
 

 尾国に降りてからは上関に向かいました。尾国には万葉集の碑がありますが、田布施,平生地区には数多くの古墳があります。すぐ北の岩城山には古代朝鮮式山城の跡もあります。古代、ここは重要な地域でたくさんの人が住んでいたのでしょう。
 上関に着くと、橋を通って長島に渡りました。橋が無かった昔、渡船場で船に乗り換えてから長島に渡っていました。橋ができてもしばらくは大勢の人々が毎日のように船で行き来していました。長島に渡ると上盛山を登りました。

    上盛山から、さきほど通って来た大星山,尾国,,上関ラインを見て


 上関の上盛山は上関小学校,上関中学校,熊毛南高等学校分校の横を抜ける道を通って行きます。標高は200~300mでしょうか。それほど高くは無いのですが、360度の景色は絶景です。東西南北の方向に、何の障害物も無く見通すことができます。今回は特に四国の山々が連なっているのがよく見えました。四国の海沿いの工場などの建物もよく見えました。

   上盛山から上関街方面を見下ろして、皇座山,平郡島なども遠望

コメント
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