Sightsong

自縄自縛日記

唖蝉坊と沖縄@韓国YMCA

2017-09-23 22:41:11 | 沖縄

韓国YMCAにて、「唖蝉坊と沖縄」(2017/9/23)。ちょうど編集者のMさんも来ていて、隣に座った。

鎌田慧・土取利行『軟骨的抵抗者 演歌の祖・添田啞蝉坊を語る』が出版されたことを記念してのイヴェントである。添田啞蝉坊(1872-1944)は明治大正の演歌師。政治や社会を風刺した歌やユーモラスな歌を唄った。今回は土取さんが演奏のため不都合で、大工哲弘さんが参加。

鎌田慧さんは、啞蝉坊の息子・添田智道(さつき)が書いた『演歌の明治大正史』(岩波新書)を引用しながら、運動と歌について語った。日本では長いこと、運動のなかで皆で唄う歌が出てこなかった(たとえば三池闘争での労働歌などはあったが)。どちらかと言えば嫌がる向きが多かった。それは君が代を強制されたことと関係している。君が代は唄わされるものであって、自主的に風呂や酒場で唄うものではない。それで、運動を歌でつなげる経験が途切れているのだ、と。

その一方、辺野古や高江では歌が生まれているのだという。山城博治さんは演説のうちにそれが歌になっていく、まるでミュージカルだ、と表現した。

大工哲弘さんは、沖縄の小那覇舞天のことを挙げた。照屋林助の師匠筋にあたるコメディアンである。かれのあり方が、添田啞蝉坊・智道に重なってみえるのだと。鎌田さんはさらに、石油備蓄基地闘争、石垣闘争、伊江島闘争でも歌が唄われたと付け加えた。

大工哲弘 (三線、うた)
向島ゆり子 (vln)

休憩を挟んで、それまでほとんど聞き役に回っていた大工哲弘さんの出番になった。

まずは、啞蝉坊の「わからない節」、「ラッパ節」。現代の歌でなければならないから、大工さんはいまの政治批判も込めてアレンジした。次に、沖縄の廃藩置県により県道の工事が行われた際に出来た「県道節」、終戦後の「アメリカ節」。のむき川人(土取利行)による「辺野古数え唄」。

ここで向島ゆり子さんが入り、添田さつきの「復興節」、そして有名な「ノンキ節」。

抵抗と連帯のための歌という考えは、かつての「うたごえ運動」などとは違う意味で面白いなと思った。しかし大工さんは準備不足だったのか、啞蝉坊の歌を十分に熟成させていない感が否めなかった。

●大工哲弘
大工哲弘@みやら製麺(2017年)
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』(1997年)
大工哲弘『八重山民謡集』(1970年代?)

●鎌田慧
鎌田慧『怒りのいまを刻む』
(2013年)
6.15沖縄意見広告運動報告集会(2012年)
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」(2010年)
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』(2010年)
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)(2009年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
沖縄「集団自決」問題(8) 鎌田慧のレポート、『世界』、東京での大会(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
鎌田慧『六ヶ所村の記録』(1991年)
ええじゃないかドブロク


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