ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

「苦しまないで努力を続けられるということが、何より大事な才能・・・」

2010年04月16日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」2010.4月号より。

これは前日とりあげた羽生さんの言葉の一部だった。どんな世界でもトップに立つためには、長年にわたって死ぬほどの努力を徹底して繰り返してこなければ不可能だと思われる。天才棋士と言われる彼もきっとそうして、トップに立ったのだろう。

このテキストの面白いところは、その名言を残した人物のちょっとしたドラマが描かれているところだ。これは英語のテキストだが、実は英語など別にどうでもよくて、むしろそんな名言が生まれるまでのドラマに関心があった。どうしてその人はそういう名言を口にしたのかは興味深い。

羽生さんは25歳で公式タイトル7冠を完全制覇していた。これは全人未到の偉業だった。しかし、その7冠を保持し続けるのは並大抵のことではない。防衛戦が続く過密スケジュールのなかで、かつての勢いにも陰りが見え始めたのだ。

ついには1冠だけになってしまった。当然ながら悩む日々が続いたようだ。そんなある日、60歳を過ぎても若手棋士たちと、生き生きと懸命に将棋を求めるベテラン棋士たちの姿が目に留ったという。

そこで、勝負に焦るよりもむしろ自分らしい手を打つことにこだわって、対局に臨むようになったのだ。その後次々と失ったタイトルを奪い返している。このような経験から将棋への情熱を持ち続けることこそが難しいのだと気付いたようだ。そこで、才能というものを考えた場合、意外にもフレーズにあげた部分がポイントだった。またそれが実行できる人はすごいのだろうな。

(蛇足)
英語で「才能」を表す語は、talent,ability,giftなどがある。talentは一般的に何かをするのがうまいということだった。abilityは何かをする実用的技能があるという意味。giftは、生まれついて秀でた能力ががあり、熟練している人につかうものだった。

「センス」という言葉は、必ずしも英訳するときにそのままsenseを使わなければならないわけではない。

2010年04月15日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」2010.4月号より。

日本人は何気なくセンスという言葉を口にするものだが、英語にする場合はそれがそのままsenseにしない方が意味がよく通じる場合も多いらしい。このテキストはもともと英語の勉強のためのものだから、少しだけ英語についても触れておこうと思った次第。

ここでは、将棋の羽生善治さんの名言を紹介していた。それは「ひらめきやセンスも大切ですが、苦しまないで努力を続けられるということが、何よりも大事な才能だと思います」だった。

このセンスという部分をどう英訳するかということについて述べられていた。ここでは何とeyeという言葉が使われていたのだ。have a good eyeというふうになっていた。つまり目は、物事をとらえるsense「感覚」の源だったからだ。視覚は人間の五感のひとつだった。

ここでは別の例も示されていた。「彼女には音楽のセンスがある」は“She has an ear for music.”となる。さらに、芸術を見極める目なら、an eye for art となっている。

また、買い物のセンスがある、はお買い得を見つけるのがうまい、と考えられ、an eye for a bargainともなるようだ。日頃英語とはすっかり遠ざかっているが、こう見てくるとなんだか英語が身近に感じられてきそうだな。

先ほどの羽生さんの英訳は、“Being inspired and having a good eye is vital,but the crucial ability is to keep striving without agonizing over it.”となっていた。やはりかなり難しいか・・・

名言には必ず、見る者・聞く者を楽しませてくれる「3つのC」がある。

2010年04月14日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」2010.4月号より。

これは今月から始まったNHKテレビテキストだ。その初めの部分で見かけたフレーズだった。長年にわたって残っている名言には、ただ単に内容が魅力的だからというだけではなかったのだ。それは口にしやすく、覚えやすいリズムがあったからでもあった。

また内容という点では「3つのC」が含まれているという。それらはcreative(創造的)、clever(ウィットに富んだ)、concise(簡潔な)。さらに、この番組の講師のロジャーさんは、名言にはもうひとつのCがあるという。それはcool(かっこいい)だった。

豊かな経験と実績を伴った人が語る言葉には味があるものが多い。それを言える人はかっこいいと思える。確かに、なるほどと頷かせてくれるものだ。また、それらの名言をさりげなくサラリと言える人もかっこよく見えそうだ。

(名言には4つのCがあったことになるが)、蛇足ながら4つのCといえばまた別のものを思いだした。それはダイヤモンドの品質だった。ダイヤモンドは色(カラー)、透明度(クラリティ)、カラット(重さ)、カット(研磨)によって品質を評価していたからだった。

さて、自分はお気に入りやかっこよく言えそうな名言を持っているだろうか。これは英語用のテキストではあるが、日本人のしゃべった言葉も英訳されている。それも興味深いものだ。

たとえば、イチロー選手の名言「ぼくは天才ではありません。なぜかというと自分がどうしてヒットを打てるかを説明できるからです」の英訳は“I’m not a genius. That's because I can explain why I have hits.”とわかりやすい。

スポーツ選手は、だれも彼も、言い合わせたように『頑張ります』とだけしか口にしない。

2010年04月13日 | Weblog
「動詞の考察」佐野洋著より。

これは「張る」という題名で書かれていた短編小説の中のワンフレーズだった。つまり「張る」ということにこだわってストーリーを展開していたのだ。

物語の前に「はる」の意味が広辞苑より抜粋されていた。その一部を書いてみると次のようになる。“いっぱいに押しひろがるの意。芽がふくらむ。ふくれる。はちきれそうになる。一端から他端へたるみなく延べ渡される。筋肉がこわばる。”

佐野さんはこんな意味からいろいろと想像をめぐらして、ストーリーを考えたようだ。そして、冒頭の部分では、テレビのなかでアナウンサーが勝利投手にインタビューをしていた。上記フレーズは、その中で「頑張ります」という言葉を耳にして主人公がつぶやいた言葉だった。

もちろん「頑張る」のはスポーツ選手だけでなく誰でもが日常無意識のうちに使っている。主人公の通う予備校では「さようなら」の代わりに「じゃあ、頑張って」と言い合うほどだった。

また、“「頑張る」は当て字。「我に張る」の転、ともあった。1、我を張り通す。2、どこまでも忍耐して努力する。3、ある場所を占めて動かない。『広辞苑』より、”などという説明もされていた。

2ページ目には“『あんまり、見栄を張らない方がいいわよ』という、あの女の声が、また蘇って来た。”というセンテンスがあったが、気がつけば、ここでも「張る」が使われていた・・・

ストーリーさえ浮かんでいないのに、題名ができているわけはない・・・

2010年04月12日 | Weblog
「動詞の考察」佐野洋著より。

「動詞の考察」というのが、なんと!推理小説のタイトルだったので、ちょっと気になった次第。いったいどんなものだろうと手に取って目次を眺めてみた。そこには「合う」「切る」「する」「とる」「眠る」・・・「割る」というふうに10個の動詞が並んでいた。

それぞれが短編の題名になっていたのだ。実に風変わりな感じがした。このような動詞を選んだのには理由があった。佐野さんの癖で、締め切りぎりぎりにならないと小説のアイデアが浮かばないという。

ところが、編集者は(雑誌の)目次や表紙はカラー印刷だから早めに印刷に回さないと間に合わない、とせかされるとのこと。とにかく題だけでも早く渡してほしいと言われたそうだ。そこで比較的簡単な動詞を題名にしてしまい、あとはそれに合わせてストーリーを考えたのだった。

推理小説の場合は、犯罪が主要テーマで、たいていの犯罪には色と欲がからんでいるから、題名の動詞を考えているうちに、ごく自然に小説のストーリーが浮かんできたという。しかし、これはベテラン作家だからこその技だろう。

あとで、気がついたがそれらの動詞は『あ行』『か行』・・・というふうに『わ行』まで順番にきっちりと出来上がっていた。初めの段落のなかの「合う」「切る」「する」・・・からもわかる。それに気がついたのは筆者のあとがきを読んだ時だった。関係ないがこれもまるで、謎解きのようにも思えた次第・・・

セルフ、インティマシー、アチーブメント。

2010年04月11日 | Weblog
「逆境を生きる」城山三郎著より。

これらは、人間を支える三本の柱でもあった。城山さんは、ニューヨークに住んでいるある日本人の精神科医からこのことを聞かされたそうだ。この人は日米のビジネスマンや家族の精神的破滅を見ているうちにこの三つの柱が必要だと指摘していた。

セルフとは自分だけの世界だった。たとえば読書、音楽鑑賞、絵画、書など個人だけで完結する世界で趣味的なものだった。人に邪魔されない時間や世界もいいものだ。

またインティマシーとは、親近性と言う意味で、親しい人たちとの関係、友人、家族、地域の仲間たちによって人は支えられているということだった。親しい人が身近にいれば心も安らげるか。

アチーブメントとは、達成のことだった。つまり仕事でも趣味でも目標を立ててやり遂げることも大切なことで、それがまた生きがいにもつながっていた。はじめから全く不可能な目標では無意味だろうが。

もし「セルフ、インティマシー、アチーブメント」のうち、一本の柱しか持っていなければ、強く生きることは難しいようだ。理想的には三本の柱をバランスよく太く、充実させておくことなのだろうが・・・

人は、その性格に合った事件にしか出会わない。

2010年04月10日 | Weblog
「逆境を生きる」城山三郎著より。

この言葉は懐かしく感じられた。もう30年ほど前に、ラジオで城山(三郎)さんの講演会を聞いていたとき、渋沢栄一の話がでてきて、そのなかで語られていたことを思い出したからだ。実に短くて印象深いフレーズだった。渋沢は前日触れた御木本幸吉がずっと意識していた大先輩だった。

御木本は渋沢が九十過ぎまで長寿を保ったから、自分も長生きすれば少しでも渋沢に追いつけるかもしれないと願って、実際九十六まで生きている。さて、渋沢は日本最大の経済人で、近代日本の指導者の一人だった。

もともとは埼玉県の山奥のお百姓の出身で、あの時代ではまったく出世できるはずのない生い立ちだった。明治時代の出世コースは薩長土肥の出身者、しかも侍あがりで固められていたのだ。

城山さんは、渋沢が近代日本の代表的な指導者にまでなったのは、彼の受信機能の良さのせいだと考えていた。どんな人からもさまざまな知識を吸収しようと努めていたのだ。

上記のフレーズは、文芸評論家の小林秀雄さんが書いていたことだった。つまり、そういう性格だから、そういう事件にあったのだという。事件が性格を作るのではなく、性格が事件に遭遇させてしまうと考えたのだ。

ここでは、その例として渋沢栄一を城山さんはあげていた。渋沢は先ほども触れたように、どんな環境でも吸収魔といわれるくらいに勉強を重ねてきた結果として、日本最大の経済人とまで呼ばれるようになったのだろう。

「智、根、運」あるいは「智、運、命」

2010年04月09日 | Weblog
「逆境を生きる」城山三郎著より。

(前日のつづき)
ここでは御木本幸吉を引き合いに出していた。上記は、御木本幸吉が、色紙を頼まれた時に書いていた言葉だった。しかも、「Knowledge,luck,long life」という英語まで付けていたという。いずれにしても、「智」というものを重く見ていたのだ。

彼は、汽車に乗るとき決して二等車には乗らず、一等か三等に決めていたようだ。それは、当時の一等車なら、政財界の大物と乗り合わせる可能性があり、三等車なら庶民が乗ってくるため、大衆と肌で接していろいろな話が聞けたからだった。

貪欲に新しい知識を求めてやまなかったのだ。正規の教育を受けていなかったが、講演会があればその分自ら熱心に聴きに行き、最前列に座り自己紹介をして、質問をしたそうだ。

御木本は受信する能力も発信する能力も長けていた。成功した後も終生、好奇心のかたまりで、あらゆる機会を捉えて受信、吸収して自らの糧としていたそうだ。この姿勢こそが日本が世界に誇れる「ミキモト」ブランドのスタートだったのかな。

魅力を作っているのは〈初心〉というもの。

2010年04月08日 | Weblog
「逆境を生きる」城山三郎著より。

魅力とは何かについて触れていた。簡単には説明できないものだが、これを逆に〈魅力がない〉とはどういうことかから考えれば、わかりやすいと述べていた。

つまり、それは型にはまった人だという。要するにその他大勢ということでもあろう。城山さんは、また型にはまるということを、〈椅子〉にもたとえていた。その椅子とは、地位、ポジションという意味でもあった。

会社では平社員は小さな椅子に座り、役職が上になるにつれて大きくなる。当然ながら社長は最も大きい椅子に座ることになるが、態度もその椅子の大きさに従って尊大になる傾向がある。しかし、こんな風に椅子に支配されてしまう人間ほど魅力がないと指摘している。

また、別のページではラスベガスでサミー・デイヴィスJrの舞台を見たときの印象についても語っていた。彼は黒人で背の低い歌手だった。いたって小柄、貧相、顔もよくないときている。しかし、アメリカのショービジネス界ではトップクラスのタレントだった。

城山さんは、舞台を見ていて司会者とのやり取りで、笑いがものすごく新鮮だと感じていた。同じ劇場で何日もやっていても「今日初めてやっているんだ」というニュアンスを客に与えようとしていた。芸人は毎日やっていても、客は初めて見る人のほうが多い。

そして、わざわざ来てくれた客を笑わせよう、楽しませようと懸命に芸を披露していたのだ。よく見るとたっぷりと汗を流していたという。この部分を読んで、自分もただ惰性だけで仕事をやっていることの方が多そうだなと反省させられた次第。

“だからこそ”という言葉を何にでもつける癖・・・

2010年04月07日 | Weblog
「アーバンライフ・メトロ」2010.4月号より。

書道家の武田双雲さんのインビュー記事があった。そのなかで、彼の癖について述べられていて、その一つが上記フレーズに上げたものだった。

なんだか実に新鮮な感じの癖だと思った次第。彼はこの言葉をふりかけみたいにつけているそうだ。「眉毛が太い、だからこそできること」。「顔がぽっちゃり、だからこそできること」、などとというように。

ほとんど無意識にこの言葉をふりかけてきたという。しかも、この言葉をつける時には、いい意味合い(前向きに)で使っているように思える。

たとえば、応用として、「電車が遅れた、だからこそ本がよけいに読めた」とかも可能だろう。どんなことも、都合のいいように解釈してしまうというのも面白い。

失敗しても、それをプラス思考に変えてしまうことで、何かが得られるような気にもなってくるから不思議だ。「いやな上司に巡り合ってしまった、だからこそ人間の性格についても学べた、とか本を読んだ時によく理解できた」なども含まれるかな。

朝活のすすめ!

2010年04月06日 | Weblog
「アーバンライフ・メトロ」2010.4月号より。

このキーボードでコンカツやシュウカツと打っても正確に婚活や就活と言うふうには変換されてこない。同じくアサカツとうっても朝活とは一発で漢字は出てこない。当然ながら、造語だからだ。

しかし、朝活などという言葉は前の二つに比べれば、まだまだ一般化されていそうもない。ここでは、「朝の時間を効率的に利用して、一日を気持ちよく過ごそうという運動」だと考えているようだ。

ウォーキングやヨガなどの身体を使った運動だけでなく、語学や資格試験のための勉強なども含まれている。以前朝の散歩などやろうと試したことはあったが、長くは続かなかった。せいぜい週に数回ラジオ体操やストレッチなどを15分程度するだけだ。

何ごとも面白くなかったり、継続に努力を要するものは続かない。朝ブログやホームページを眺めるだけなら、何の苦労もない。自分がそれなりに好奇心や関心があれば続くが、それは朝活とは言えないかも。

趣味にしても、勉強にしても、出勤までの時間を有効活用しようと思えば、それは自己啓発の時間ともなるのだろう。朝活をすすめられても、どうも朝がだるい私には朝活は無理そうだ。

だからと言って、アフターファイブになれば、頭も体も疲れきって何もする気は起きないし。結局ナマケモノの自分がいるだけかな・・・。朝活ができる人はかなり意志が強い人に違いない。

世の中が言う才能とは、ちゃんとあめ玉を形作り、最後まで味わわせる才能・・・

2010年04月05日 | Weblog
「朝日新聞」2010.3.28付けより

“朝日求人”のインタビュー記事の中で、押井守さん(映画監督)が述べていたこのフレーズが気になった。かつて押井さんは、自分の自由にやっても仕事ができると思い込んでいた一時期があった。しかし仕事は来なかった。

そんな時、あるプロデューサーから、「映画というのは口に入れた時においしい味がして最後まで飽きないことが大切なんだ」と言われたのだった。それを押井さんは、観客がおいしいと言うあめ玉として丸めて見せろ、と解釈したのだ。

別に映画監督に限らず、政治家でも経済人でもまず世の中の期待に応えられなければダメだと感じたようだ。才能と言っても大それたものである必要はなかった。まずは人の期待に応えられる仕事ができるかどうかだった。

仕事に鍛えられ、経験を積むことによって、最後は自分味のあめ玉が作れると知ったようだ。押井さんにとって仕事とは、経験則だという。とにかく場数を踏んで身体で覚えこむことが必要なようだ。

そして、結果として自分味のあめ玉ができて、それが人の期待に応えられれば最高なんだろうな。常にそんな仕事を目指したいもの。そして、同じ味で飽きられないためには創意工夫を積み重ねることかな。

毎日、ボトル半分のワインを飲み、1箱のたばこを吸い、コーヒーを浴びるように飲んでいた。

2010年04月04日 | Weblog
「朝日新聞」土曜版2010.3.27付けより。

これはいまベストセラーを連発して、世間でウケている勝間和代さん自身のことだった。いまでこそ大成功した彼女だが、以前は仕事も家庭生活もうまくいかず、すべての人間関係に悩んでいたことがあったという。

以前若いころには、上記フレーズのようなことの繰り返しだったようだ。その結果、当然のように身体を壊し、不眠、胃痛、肥満、耳鳴りなどの症状に悩んでいたのだった。

そんな時、『洞察力 本質を見抜く「眼力」の秘密』(中山正和著)に出会って、“妬まない、怒らない、愚痴らない”の三悪追放に励んだそうだ。その結果、1年間で禁酒、禁煙に成功して、体重も14キロ落ちたと振り返る。

さらには人間関係の悩みもなくなったという。実にいいことばかりだ。でも、これは意志の強い勝間さんだからできたことなのではないだろうか。一般的にはどうかな。

かなり頑固に徹底しないとこうはなれないだろう。そういえば、このコラムのタイトルは「人生を変えるコトバ」となっていた。人生を変えるにはそれほそ徹底しないといけないということなのだろうな。凡人の私には無理かな・・・

面白い人間とつきあって過ごすか、つまらない人間と過ごして時間を無駄にするか・・・

2010年04月03日 | Weblog
「朝日新聞」土曜版2010.3.27付けより。

久しぶりに“やっぱりフジマキに聞け”という質問形式のコラムでちょっと気になるフレーズに出会った。質問は、35歳の女性からのもので、残業していると上司が食事に誘ってくれるが、支払いは割り勘だという。どうすべきかというものだった。

いずれにしても、女性を誘ったなら上司が支払うのが当たり前なことだろう。実におかしな上司だとも思えるな。藤巻氏は、その時間が有意義であれば部下も割り勘でもついてくるはずだというが。

しかし、こういう質問をすること自体でその時間が面白くないということは想像できる。ここでは最後に、「自分の人生のコーディネーターは、あなたしかいない」と結んでいる。ときには断る勇気も必要だろうな。

ここで取り上げたフレーズの「人間」の部分は、本、ブログ、ホームぺージなどとしても当てはまりそうだ。無駄な時間は過ごしたくないもの。自分が気に食わない同僚ならつき合わなければいいのだろう。

人のことを面白いかどうかを考えるより、むしろ自分自身が相手にとって、どれだけ面白いかやメリットや喜びを与えられる人間だろうかと考えてみる必要もありそうだな。本当に面白い人間になれる努力をしているかちょっと反省せねばなぁ。

画廊は「無料の美術館」。

2010年04月02日 | Weblog


「メトロエイジ」2010.4月号より。

これは一昨日読んだのとは別のフリーペーパーだった。特集は“銀座からの贈り物”となっていたが、その中で気になった項目は「ギャラリー天国でアート散歩」というページだった。これもまた“アートなステイケーション”ともいえそうだな。

銀座には画廊が三百もあるという。美術品というとちょっと近寄りがたいイメージがあるが、私は二十代のころからかなり銀座の画廊を覗いていたものだ。当然ながらタダでたくさんの絵画が見られるからだった。サラリーマンで絵画収集家の山本冬彦さん(アートソムリエ)は、ここで四つの画廊をおすすめしていた。

1、「日動画廊」、日本最古の洋画商だった。私もかつて何度も足を運んだことはあった。2、「ギャラリー広田」、幅広く日本画が作品が並ぶ。3、「シロタ画廊」世界が注目する版画を豊富に取り扱う。4、「銀座フォレスト」、学生や若手作家の作品に強い。

美術館や博物館は上野というイメージがあるが、銀座はまた日本一の画廊を誇る“芸術の街”でもあったのだ。無名、有名など気にしないで眺めているうちに、お気に入りの作家に出会えるかも。たまにはデパートの美術サロンや街中の画廊散策のもいいかな。