「たんぽぽの日々」俵万智著より。
ここでの短歌は「ドラえもんのいないのび太と思うとき贈りたし君に夢の木の実を」だった。この歌を何の解説もなしに理解するのは難しそうだ。
もしこれをふつうの文章の順番にすれば、「ドラえもんのいない、のび太と思うとき、夢の木の実を、君に贈りたし。」となるのだろう。それはいったいどんな時なのだろうか。
ここにエッセイとしての解説があった。園に通うようになったお子さんは、俵さんに似て人一倍不器用らしく、スモックのボタンをはめるのにかなり時間がかかるようだった。
その幼い息子は「ドラえもんがいたらなあ」と思うらしい。俵さんは、ボタンを上手にはめられるようになることも、子どもにとっては立派な夢だと感じていた。
「なれるように、がんばろう」と思いつづける力は、夢見る力だという。子どもには夢の木が実をつけるように頑張ってほしいと思っている。そんな気持ちを歌ったものだった。
この「夢の木の実」という表現自体は俵さんのオリジナルではなく、師の佐々木信綱の歌からのものだった。ここではそれについても触れていた。
ここでの短歌は「ドラえもんのいないのび太と思うとき贈りたし君に夢の木の実を」だった。この歌を何の解説もなしに理解するのは難しそうだ。
もしこれをふつうの文章の順番にすれば、「ドラえもんのいない、のび太と思うとき、夢の木の実を、君に贈りたし。」となるのだろう。それはいったいどんな時なのだろうか。
ここにエッセイとしての解説があった。園に通うようになったお子さんは、俵さんに似て人一倍不器用らしく、スモックのボタンをはめるのにかなり時間がかかるようだった。
その幼い息子は「ドラえもんがいたらなあ」と思うらしい。俵さんは、ボタンを上手にはめられるようになることも、子どもにとっては立派な夢だと感じていた。
「なれるように、がんばろう」と思いつづける力は、夢見る力だという。子どもには夢の木が実をつけるように頑張ってほしいと思っている。そんな気持ちを歌ったものだった。
この「夢の木の実」という表現自体は俵さんのオリジナルではなく、師の佐々木信綱の歌からのものだった。ここではそれについても触れていた。