ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

箱根駅伝の争いは、大学間の経済戦争的な側面もある・・・

2009年01月16日 | Weblog
「朝日新聞」土曜判2009.1.10付けより。

正月の2日3日は毎年のように箱根駅伝を見てしまう。熱心なファンは走るコースの沿道まで出かけていって応援するようだが、私はあったかい家のなかでテレビ観戦ばかりだ。

今年は85回記念大会ということで23チームが走っていた。そのうち20校以上が強化費を投じて、高校生に対する激しい勧誘合戦を演じているようだ。箱根駅伝はまた入学願書締め切りの直前というタイミングで行われ、大学の宣伝にもつながっている。つまりそれが受験料収入につながっていたのだ。

箱根駅伝を上位で走行した場合、受験料収入が数億円単位で増えるらしい。要するにビジネスチャンスともいえるのだ。往復で11時間もどこかの大学の名前が連呼されて、テレビに映されたら膨大な宣伝料だなといつも思いながら観ている。

また選手獲得競争は「経済支援」の戦いでもあるようだ。授業料、寮費などを奨学金として全額支給する大学もあるという。大学はそれだけ投資をしているということだ。箱根駅伝の成績が大学経営にも直結してくるようだ。

そんなところから、監督の結果責任が厳しく問われて、たとええ名門校といえども監督交代当たり前だったのだ。(実際、日本大、中央大、大東大などが前年のあと交替していた)。駅伝自体もドラマのようだが、選手が走る舞台裏にはさまざまな駆け引きやドラマがあったりするのかな・・・

「アラ還」が欲しがられる理由。

2009年01月15日 | Weblog
「朝日新聞」土曜判2009.1.10付けより。

もし耳で「アラカン」と聞いてもピンとこなかったかもしれない。しかし、文字にすれば、アラフォーの連想からアラウンド還暦=60歳前後とわかる。アラシックスと呼ぶよりはかなり語感がいい。

ここでは、団塊世代の“女性”のことを言っていた。表題には「団塊女性が働いて輝く」とあった。確かにコンビニにしても、ファミレスにしても60代と思える女性がいきいきと仕事をしているのを目にすることがある。

ここに採用企業が認定する「働くアラウンド60、女性の効用」というのがイラスト入りで紹介されていた。ちょっと興味深いので抜粋してみよう。

1、人生経験に見合った責任感で仕事に手抜きがない。2、マニュアルに書かれていない心遣いができる。3、若い従業員にマナーや接客法を教えるお手本になる。4、客あしらいが巧みで自然に間を持たせる。5、ストレスを溜めこんだ同世代の男性を引き寄せる。6、忍耐強さと探究心で物事を簡単にあきらめない。などとなっていた。

何となく納得できそうだ。こんな能力があれば職場の戦力として素晴らしいとも思える。しかし、問題はたとえアルバイトとはいえ現在のような経済状況では雇ってくれる職場があるかどうかだな。

そういえば、先月「知っている団塊の世代の人は今の若者よりがんばって仕事をされてますね」とある人が感心して言っていたことを思い出した。(残念ながら私はその後の世代になるが。)

幸福な人生を送るコツは、ほどほどに働いて、そこそこにいきること・・・

2009年01月14日 | Weblog
「朝日新聞」2009.1.10付けより。

“私の視点”というコラムの中で、経済アナリストの森永卓郎氏が語っていた中にあったもの。ここでのタイトルは「今年の家計、嵐の時代、乗り切ろう」となっていた。

今のところ雇用不安が深刻な問題になっている。この先の経済が実に不透明で、それが消費者心理に大きく影響しているようだ。やはりちょっとした不安材料があるだけでもお金持ちでさえ、買い控えが起きてしまう。

筆者がいう、“幸せな人生を送るコツ”の「ほどほどに働く」とはどういうことだろうか。それは人によってさまざまだろうが、自分だったら、健康を害しない程度に働くあたりだろうか。

また「そこそこに生きる」とはどういうことだろうか。せいぜい贅沢をしなければ生きていける程度だろうか。しかし、むしろそんな「ほどほど」程度では「そこそこ」に生きていくのも難しいのかもしれない。

森永氏は庶民が生活防衛のために今できることは、せいぜい節約程度だと述べている。とはいっても、節約ばかりがいつまで続けられることだろう。結局、政府や日銀が動いてくれない限り、「ほどほど」も「そこそこ」も戻ってこないような気がするな・・・

「歩くのはゆっくりでも、決して逆戻りはしない」

2009年01月13日 | Weblog
「メトロポリターナ」2009.1月号より。

“一流の法則”というコーナーの対談のなかで、韓国出身のベ・ドンチュル氏(CEO JAPAN代表理事・韓国の旅行会社社長)が述べていたこと。氏はかつて「冬のソナタロケ地巡り」などの旅行企画で話題を呼んでいた。つまり韓流ブームの火付け役だったのだ。

さて、上記のフレーズは元々" I'm a slow walker, but I never walk back."というリンカーンの言葉だった。ゴールまでの時間がかかっても、回り道をしても、着実に前に進むことが大事だという教えだった。(今年は“丑年”、ゆっくり、じっくりと牛歩のごとくだろうか。)

そんな意味で、ベ氏は漠然とした夢を持つより、むしろ持つべきはビジョンだと述べている。単なる夢では意味がないとまでいう。何かを成し遂げるためには、ゴールまでの道筋こそが大事だったのだ。

さらにもうひとつ大事なことは、「ノープラン」であることはチャンスを逃す原因だともいう。「ノープランではいけない」とは、要するに人に会う前にはそれなりの準備をしておくべきだというような意味だった。その場のシチュエーションにあった言葉を用意しておけば、余裕も生まれ、相手のこともより理解でき、結果としてチャンスが広がるということだった。

もちろんこの考え方はビジネスに限らないが、ベ氏はその考えでやってきた結果として海外とのビジネスに成功していた。

人は思い出に助けられて生きている・・・

2009年01月12日 | Weblog
「アットワンス」2009.1月号より。

これは“書棚に入れたいこの一冊”というコーナーで『パリのおばあさんの物語』(岸恵子/訳)について書かれている部分にあったもの。この本はフランスで子供から大人まで読み継がれてきた絵本だった。

人によっては過ぎ去った過去の思い出なんか何の価値もないと言う人もいるだろう。また年をとると多くのものを失うのは事実だが、代わりにたくさんの思い出も得られるともいえる。たとえ、その時点で苦しかったことも、あとになってみればいい経験だっりすることもあるもの。

何ごともいいことばかりは続かないもの。また、辛かったことも後から考えるといい教訓だったとも思えてくる。いまそこそこに生きていられるということは、苦しかった一時期も乗り越えてきたということかもしれない。そして、これから先のことは神のみぞ知るだろうか。

思い出には喜びも悲しみもあることは事実だが、このパリのおばあさんは、素敵な思い出とともに年を重ねてきたようだ。そしてまた、これからもどんな思い出を作ろうかという思いを巡らせている。この肯定的な生き方がいいのかもしれないな。

かつて何かに挑戦し頑張った結果、何かを成し遂げた(成果があげられた)というような思い出があれば、それは次に何かにチャレンジする場合には力になるとも思える。そう考えると思い出に助けられて生きているということもわかりやすそうだ。

そういえば、いま書いているこの日記のようなものも、数年後には思い出になっているのだろうか・・・な。

具体論にしない限り、人は動かないし、何も始まらない。

2009年01月11日 | Weblog
「仕事が速くなるプロの仕事術」吉越浩一郎著より。

結局、ものごとは誰が、いつまでに、何をやるかがわからないと動きづらいものだ。具体的な指示がないと動く方もスムーズにいかない。ここに例があった。

他社、他店で火災があった後では、「うちでも火に注意しろ」と部下に命令したところですぐには動けない。ただその場で聞き流されてしまうことだろう。そこで、具体案とは次のようなものだった。

「可燃物は事務所内に置くな」「工場機器関係はすべて調べあげろ」「タバコは決められた場所以外では吸うな」「過熱しそうな機器があれば電気関係は全て調べ直せ」などだった。

これなら部下も動きやすいだろう。ミスを防ぐ場合はとくに、漠然としたものを思い描いているだけでは決して前には進まないな。

さて、今年やるべきことも具体的にしただろうか。単に頑張ろう、健康に気をつけようだけでは無理そうだし。とりあえず今年も「15分エクササイズを週に5日以上やる」を目標にするかな・・・。

「なぜ」を繰り返してロジカルに答えを見つける。

2009年01月10日 | Weblog
「仕事が速くなるプロの仕事術」吉越浩一郎著より。

とかくものごとは、好き嫌いの感情で判断しがちだが、仕事ではやはりロジカルにいきたいもの。そのためには、「なぜ?」と考えて、自問自答してみることも悪くない。

また人には「どうして?」と問いかけることも必要になってくる。その場合、客観的データがあれば心強い。

良い仕事はやはり具体的で実行に移せるものだともいえそうだ。ここに例があった。「この商品はこのサイズでいいか」という質問に対して、「小さくてかわいい」ではなくて「片手で持ちながら簡単に操作できる」となればロジカルということになる。

仕事には何となく頭の中で考えてはいるが、合理的でないところもあったりする。その問題点を発見するには、やはりロジカルシンキングが必要なのだ・・・な。

相手を説得したいという気持ちがあれば図は描ける。

2009年01月09日 | Weblog
「仕事が速くなるプロの仕事術」吉越浩一郎著より。

紙に図を描くことによって、人とのコミュニケーションがスムーズにいくことが多い。単に言葉でベラベラと喋られても、なんだかついていけないこともある。しかし、そこに図が加わることでナルホドとうなづきやすい。

まず図を描くには、話し手の頭の中が論理的に整理されていなければ描けない。そして論理的で単純化されたものは、聞き手にもわかりやすいはずだ。丸で囲んだり、矢印で何と何がどんな関係あるかを示すだけでも相手の理解度はかなり違う。

かつてベストセラーになった久恒啓一氏の“図解”関連の本があったことを思い出した。氏の手にかかるとどんなものでも図解出来てしまうことに驚いた。時には読んだ本一冊までも図解出来てしまうようだ。まあ私みたいな凡人には無理だろうが。

いずれにしても図を描くために膨大な時間を費やすなら時間がもったいないことだが。ビジネスの現場では、自分と相手が理解しあえる程度の単純な○△□→(矢印)程度で十分ではないだろうか。シンプル・イズ・ベストでいきたいもの。

プロフィット(利潤)とリスクはイコールだ。

2009年01月08日 | Weblog
「朝日新聞」2009.1.3付けより。

世界同時不況であらゆる業界の売上は落ち込んでいる。そんな中でも「ユニクロ」だけは好調のようだ。社長の柳井正さんは、価格と品質のバランスでバリュー(価値)を感じてもらえたからだと考えている。価格が安くても品質が良ければ、ユニクロを選んでくれる人は多いことだろう。

百貨店もスーパーも低迷しているが、それについて柳井氏が語ることは、当然のことのように思えた。それは、「お客様の声を聞き、メリットを売り場やチラシなどで情報発信していくことが必要」ということだった。実にシンプルな考えだ。

だから従来のように改装や増床をしただけでは、商売自体が変わらなければ将来はないとみている。また、日本人の最大の欠点は安心、安全、安定志向だとも述べる。

しかし、ユニクロでは製造小売りをする場合、常にリスクをとってきたという。利潤を出すためにはそれなりのリスクを抱えるのは当然のことで、それができたところにユニクロの強さがあったのだ。つまり他の企業ができないことをやった結果が好結果につながっているようだ。

リスクをとったからこそ、需要を呼べたということか。要するに虎穴に入らずんば虎児を得ずということかな。とはいっても一か八かの冒険とは全く異なり、長年の経験による綿密な計画、実行があってこそのプロフィットには違いない。

景気が悪いのと笑いはとても仲がよくて、・・・

2009年01月07日 | Weblog
「朝日新聞」2009.1.1より。

“私の視点”というコラムの中で、落語家の桂文珍さんが言っていたこと。過去を振り返れば、1930年代の大恐慌の時にはエンタツ・アチャコが売れていたという。(とはいってもほとんどの人にはピンとこないだろうが。私はぜいぜいその2人の漫才師の名前を知っている程度だが。)

またバブルが崩壊した頃には漫才ブームだった。そして、景気が冷え込んだ現在でもテレビの中ではお笑い番組が花盛りだ。連日数多くのお笑いタレントたちがあらゆる番組に出演している。とはいっても、実際にそこでネタを披露しているわけでもない。司会やバラエティ番組に顔を出しているだけのこともある。

文珍氏は、どんな状況の中でも笑っていたいというのが根源的な人間の本質だと語っている。その例として自身の体験を述べていた。それは阪神淡路大震災の時に、氏の家はつぶれて家の前で写真を奥さんと撮っていたが、あとで見るとどれも笑っていたという。

笑う門には福来たるを実践したかのようだ。だからこそ氏は「人間のユーモアのセンスを生かして見方を変えていけば、壁を乗り越えていけるヒントが得られるのではないか」とも述べている。笑いは時には力を与えるものだから、そのパワーをうまく利用できればいいが。

つまり頭の柔軟性を養っておけば、意外なところからヒントが見えてくるかも。(それを期待したいもの)景気が悪い時に限って笑いがブームとなるか。せめて一時だけは厳しい現実を忘れたいと思っているのだろうかなぁ~(自分も含めて)

成功しない人に限って効率を考える発想から入っていく。

2009年01月06日 | Weblog
「人生の答え」テリー伊藤・中谷彰宏著より。

成功している人や好きなことをやている人は、あまり効率を考えない。他人から見ればかなり無駄な時間を過ごしているようにみえるのだろう。

5年ほど前に、一人の友人に「最近ホームページを始めたので、時間があれば覗いてみて欲しい」というようなことを言った覚えがある。すると彼は「それって何かメリットあるの?」と返してきたのだ。意外な返答で、ちょっと驚きだった。

ホームページを作ったといっても、なにもメリットなど考えたことはなかった。ただ単純に自分が面白そうだと思ったから始めただけだった。

自分の趣味を始めるときに、いちいちメリットや損得など考えていたら何も楽しめないだろうと思った次第。仕事でも効率ばかり先に考えていたら何も始められなくなってしまいそうだ。

テリーさんは、自身の面白いエピソードを語っている。それは、昔、お嬢様と付き合いたいと思っていたらしい。そこで、どこへ行ったらお嬢様に出会えるかと考えて、田園調布か成城学園だと思ってすぐに成城に出かけて行ったという。あまりあれこれ考えずに行動したおかげて、お嬢様ともお友達になれたと述懐している。

そこには何のテキストもマニュアルもない。ただの思いつきで行動を起こしている。あったと思えるのはちょっとしたマーケティング戦略のようなものだけだったのだ。

営業マンだったら、まずこうすれば効率がいいのだろうか、なんていう発想から始まってもうまくいくとは限らない。ムダを承知でいろいろと試行錯誤していくことで、ノウハウがつかめていくことも多い・・・はず。

上司が嫌いだと思うのは、自分自身に強さがないから・・・

2009年01月05日 | Weblog
「人生の答え」テリー伊藤・中谷彰宏著より。

もうほとんど余計な解説は不要かもしれないが、逆から考えればわかりやすい。自分に力がついてきて仕事が面白くなれば、上司が嫌いだなんてことはあまり気にならないはずだろう。

親子の関係でも似ている。子どものうちは親のいうことがうるさく感じられる。しかし、大人になるにつれて、親の人生を考えるくらいの余裕が持てれば、かえっていたわらねばと思ったりもする。苦労かけたことさえ思いだされてくる。

だから上司にもその立場があって、いろいろと言わねばならないこともあるのだろう、と考えればちょっとは見方も変わるかも。とにかく自分が実力さえつければ、上司の存在はそれほど気にすることもないだろう。

そういえば、25年ほど前にはダメ上司に当たってしまったことがある。とにかく酒にだらしがなかった。飲み始めたら浴びるほど飲まないと気が済まない性質だった。しばしば朝からアルコールの匂いがしていたものだ。

早くそんな上司の下から抜け出したいと思い、取締役に直訴したらあっさりと行きたい部署に異動させてくれたのだ。それ以来、自分の好きな仕事をさせてもらっている。部署さえ変われば、いやな上司も関係ないか。

その後、かつてのその上司は自業自得と言うべきか、心身ともに自身で苦しんだようだった。かえってそうなるとかわいそうなくらいだったな。要するに半面教師の見本のような男だったかも。

人は、本と向き合いながら自分と向き合っている。

2009年01月04日 | Weblog
「朝日新聞」2009.1.1付けより。

今回も同じく出版社のヘッドコピーを取り上げてみた。たった1行のコピー文も捨てがたいと思えるものがある。それが上記フレーズにあげたものだった。

他の出版社の広告が本の宣伝とともに10行以上の解説文を書いているのに対して、集英社の全面広告では、20冊ほどの書名とサブタイトル程度を除けば、宣伝文は上記を含めて2つだけだった。

確かに本を読んでいるとき、本の世界に浸ることができる。そして、自分だったら、と置き換えて考えてしまうこともあるもの。そんなことをワンセンテンスで表現したのだろう。もう一つは次のものだった。

~~~次に進むべき道を指し示すのは、胸に刻まれた一行の言葉だと思う。~~~

自分にとってインパクトのある言葉であるほど、長い間胸に刻みつけられるに違いない。そいういえば、胸に刻まれた一行は忘れないもの。私にとっては「今日という枠の中に生きよ」という意味の言葉だったな。

それは『道は開ける』(デール・カーネギー著)の中にあったものだった。もう30年も前に読んだのに、今でもたまにその言葉を思い出したりしますね。

百年後だって、人間はきっと変わらない。

2009年01月03日 | Weblog
「朝日新聞」2009.1.1付けより。

上記は新潮文庫のヘッドコピーだった。たまたま前日の「100」つながりで、興味深いデータが掲載されている広告があった。それは太宰治と松本清張が今年で生誕100年だからだった。以下ごく一部だけ抜粋してみよう。

両者は1909年(明治42年)生まれだったのだ。そこに着目して二人の年代ごとの発表作品や年齢が記載されている。太宰治は6月19日青森県に生まれ、松本清張は12月21日福岡県に生まれていた。

太宰は19歳の時(1928年)に同人誌「細胞文芸」を創刊している。そして、「人間失格」が完成した1948年(昭和23年)に39歳で入水自殺していた。一方、清張が作家としてデビューしたのはその2年後の41歳の時(1950年、昭和25年)だった。そして1992年(平成4年)死去(82歳)となっていた。

さらに新潮文庫のこの二人の作家のデータは続いている。太宰治、全17点の累計発行部数2040万部。松本清張36点の累計4327万部だった。それにしても、1社の文庫本だけでも恐ろしい発行部数!

作風もまったく異なる二人の作家をこんなふうに、「生誕100年」というキーワードでつなげてみると実に興味深いものだな。どちらも人間の本質を鋭く見つめて描き出しているという点では同じかも。

だから100年後も読まれるのといえるのだろう。いくら技術が進歩しても人の気持ちや感情は変わりませんね。また数百年前の古典文学も今でも読めますしねし・・・

読書は心のストレッチなのかもしれない。

2009年01月02日 | Weblog
「朝日新聞」2009.1.1付けより。

これも前日と同様に元旦の新聞に掲載されていた出版社の広告コピーのワンセンテンスだった。講談社の全面広告のヘッドコピーは、ストレートに「本が、読みたい。」となっていた。

広告の下の方をみると、“100年分の感謝をこめて。これからも本を作ります。”とある。つまり今年で創業100周年を迎えるようだ。タイトルにあげた、先ほどのフレーズのあとには次のように続いていた。

~~~心は、ふだんから動かしてないと、動かなくなってしまう。さびついてしまう。子供だって、大人だって。心にも体操が必要だ。~~~

だから、本を読みたくなるのは自然なことなのだ、ということを言いたかったようだ。そこで、100にちなんで、2年間にわたって作家100人による100冊の書き下ろし作品を刊行すると記されている。

さらにおまけとして、「毎週100名に1万の図書カードをプレゼント」、という企画もあるようだ。区切りの年ってかなり思い切ったことをやるものだなぁ(4月から1月まで毎週とは!)。

それにしても、「読書は心のストレッチ」かぁ~、うまいコピーを考えるものだな。本をしっかり読むにも体力が必要かも。体のストレッチもせねばな、毎年体が硬くなりそうだし・・・