「考える技術」渡部昇一著より。
ハッピーとハプニングがもとをたどれば同じだったとは意外にも思えた次第。しかも、日本語の「幸せ」はもともと「仕合せ」、つまり「事の成り行き」という意味でもあったのだ。
日英どちらも、「出来事」、つまりハプニングが起きることを言っていたのだ。昔はこのように、ハプニングに出くわすことで、幸せになるという意味合いがあり、自分の幸せは外側からやってくると思われていたようだ。
しかし、最近では外側というより内側にウェイトがかかっている。それは不満のレベルにもよるようだ。すべてに満足していればいいが、不満が少ないほど幸せかもしれない。
ある意味、そんなふうに客観的に自分を眺められれば、自分は成長しているともいえそうだ。かつては不満に思えたことも今考えれば、大したことでもないようにも思えてきたり・・・
ハッピーとハプニングがもとをたどれば同じだったとは意外にも思えた次第。しかも、日本語の「幸せ」はもともと「仕合せ」、つまり「事の成り行き」という意味でもあったのだ。
日英どちらも、「出来事」、つまりハプニングが起きることを言っていたのだ。昔はこのように、ハプニングに出くわすことで、幸せになるという意味合いがあり、自分の幸せは外側からやってくると思われていたようだ。
しかし、最近では外側というより内側にウェイトがかかっている。それは不満のレベルにもよるようだ。すべてに満足していればいいが、不満が少ないほど幸せかもしれない。
ある意味、そんなふうに客観的に自分を眺められれば、自分は成長しているともいえそうだ。かつては不満に思えたことも今考えれば、大したことでもないようにも思えてきたり・・・