とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

償いとか恩返しとか・・・

2010-10-10 23:11:11 | 日記
償いとか恩返しとか・・・



 私は、私と関わったあらゆる方々のことを思い出すとき、償いをしなくては・・・、とか、恩返しをしなくては、・・・、とか考えてしまう。ということは、これからの私の余生はそういう負荷を背負った人生ということになる。
 NHK朝ドラの『てっぱん』を見ていて、私のそういう考えはちょっとおかしいのでは、と思うようになった。
 「あかり」という主人公は、大阪の家を飛び出した母を助けた尾道の家族に育てられる。母は「あかり」を産んでから死んでしまう。鉄工所を営むその家族は養女として迎えて「あかり」を育てていく。
 高校3年生のある日、「あかり」の祖母が尾道に来て、「あかり」に過去のことはすべて忘れなさいと言う。真実を知った「あかり」は、その事件以来自分の出生のことで悩む。悩んだ挙句、大阪の祖母を訪ねる。ところが、そっけなく扱われ、また忘れなさいと言われる。そう言われてますます「あかり」は苦しむ。
 尾道に就職して、家族を安心させること。
 これが自らのこれからの生きる道だと思うようになる。そして、密かに育ててくれた養父母への「恩返し」を考えていたのである。
 そういう「あかり」の気持ちを知っていたたまれなくなった母親は「恩返ししてほしくて育てたんじゃない」という。
 かわいい。
 夫が赤ん坊の「あかり」を抱いて、思わず呟いた言葉である。
 その夫の言葉を聞いて、育てよう!! と決心したのである。そのことを「あかり」の前でしっかりと母親は言う。
 いやいや、私はこういう話にはとても弱いんです。ぼろぼろ泣いて観ていました。
 私は、私は、妻を初めとする家族や私と関わったいろいろな人に恩返しをしたいと思っていた。これからの私の生きる目標だと強く思っていた。
 ところが、朝ドラのこういう場面に出会うと、私は間違っていたと思うようになったのである。
 償いとか恩返し。
 なかなか立派な心がけじゃないか。
 だが、そんなちっほけなものだったのか。過去の私と家族や親戚・知人・友人・同僚・生徒たちへの思いは。私は、相当考え違いをしている!!
 それでは、どういう・・・。
 私は、深く悩んでしまった。
 

まめなったかね ?

2010-10-09 23:13:28 | 日記
まめなったかね ?



 あるボランティアの仕事をするために会場に車で到着した。
 「あんた、まめ(元気)」だったかね ?」
 後ろから声をかけた人がいた。振り返ると、昨年も一緒に作業した知人だった。
 「なんとかね」
 私が答えると
 「1年が早いねえ」とその知人。
 私はそう言われて、本当だと思った。作業したのが昨日のように思われるのである。私はボランティア作業に今年も参加出来た喜びを感じた。
 ここにちゃんと生きています。
 そういう意思表示をするために私は参加しているのである。このブログもそうである。ここに、こうして、文章を書く私がちゃんと生きていますよ。私はそう呟きながら書いているのである。
 現役時代は仕事をすることがその意思表示だった。しかし、退職すると、何か発信しないと、あいつまめ(元気)だろうか、まさかもうあの世へ行ったのじゃなかろうな、などと思われるだろう不安がつきまとう。
 まめなったかね。ああ、なんとか。
 この会話が何時まで続くだろうか。私は、出雲弁の「まめ」という言葉が好きである。古語の「まめなり」「まめまめし」が語源だろうが、国語辞典にも出ているので共通語としても使われている。
 「まめ」と言えば、『更級日記』で作者の「をばなる人」が「まめまめしき物はまさなかりなむ」(実用的なものはきっとよくないでしょう)と言って、『源氏物語』をすべてプレゼントする場面を思い出す。作者は嬉々として喜ぶ。
 さて、私はと言えば、このごろ読書というものに少しばかり疎遠になってきた。もともと私は読むより書く方が好きだったので、今までの読書量は人より少ないのではないのかと不安になっている。活字に親しむということが年をとるにつれて遠ざかっているのである。
 若いころ、年間1千枚以上の原稿を書いていた時期もあったが、読むことも多少は続けていた。退職して時間が出来れば、書架の読み残しのものを読破しようと思っていた。しかし、なかなかその時間というものが生まれてこないのである。困ったことだ。
 まめでまめに読書。これに限る。しかし、まめでもまめに読めないのが現実である。そうだ、明日は図書館に必ず行こう。そこで「まめなったかね ?」と声をかけてくれる友達にもまた会えるかもしれない。
 
 

幽霊と妖怪

2010-10-06 22:13:38 | 日記
幽霊と妖怪


 水木しげる氏の『水木しげるの妖怪事典』を最近面白く読んだ。読みながら、池田弥三郎の『日本の幽霊』を思い出していた。そして、「おばけ」・「幽霊」とか呼ばれているものと「妖怪」・「変化」と呼ばれる範疇のものは同じなのか、違うのか、ということを考えた。
 柳田国男の考えを発展させて、池田弥三郎は、場所に執する霊(念)を「妖怪」、人に執する霊を「幽霊」とすべきだと説いた。
 主としてある特定の人への恨みや特別な執着のために人間の姿で出現した霊を「幽霊」。特定の人への思いはないが、ある特別な土地に憑いていて、人が来ると現れるのが「妖怪」。「変化」は主として動物が姿を変えて現れるもの、また神仏が人間に姿を変えて現れたもの。それでは「おばけ」は。うーん、こりゃ漠然としているなあ。
 私は、その池田氏の説をもとにして、こう理解している。もし、間違いがあれば、ご指摘いただきたい。
 水木しげる氏はこういう方面の学者でもあるので、書き上げた姿はユーモラスだが実感があり、説得力がある。
 で、私はそういうものを現実に見たことがあるか、と振り返ってみても一度もないのである。私はあるお寺の墓地会の役員もしていて、お墓に親しんで(?)いるが、夜歩いても、家族の幽霊にお目にかかったことがない。一度でもいいから会いたいと思っているが、・・・。
 夢の中で死んだ家族会ったことが数回ある。しかし、数日間でそのイメージは消滅してしまう。水木氏はそういうものは現実に居ると考えておられるようである。『遠野物語』にもそういうものが出てきて面白いが、現代でも会うことが可能だろうかと考えると、疑問である。来世の「霊魂」ということになると、私はかなり信じているが、このことと繋げてはいけないと思う。
 私は今夏、境港に行って妖怪のブロンズ像を撫でて帰った。手で触れるようにセットしてくれた境港のお方に感謝している。あのツルッとした感触が手先にまだ残っている。私はそれでいいのだと思った。あの偶像の感触の中に「妖怪」は住んでいる。私は、そう考えて、今落ち着いているのである。