とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

出品者の知識は?

2010-10-29 22:58:08 | 日記
出品者の知識は?




 相変わらずオークションの作品の画面を眺めている。時には面白いことを発見する。
 「版画・能(仮題)」とタイトルがあり、平安末期の装束の女性像が描かれていた。袴を着けていて、髪は床まで伸びている。座ってはいるが、手には舞い扇を持ち、左側には小鼓が置かれている。だから、「能」とは違うのではないのか、と私は思った。能を女性が舞うことがあったのか? 私はよく分からないが、全体の雰囲気は「能」らしくない。白拍子が舞い支度をしているような感じである。
 それから、落款を見ると、「鞆○」とある。聞いたことのある雅号だな、と私は思った。二文字目は何だ?よくよく見ると、「音」とも読める。すると、「鞆音」だ。えっ! 鞆音!
 私は驚いた。小堀鞆音だ! こぼりともとだ! 四千円。こりゃ廉い。もしかして印刷かも……。などと一人ではしゃいでいた。
 それにしても、出品者はもっと勉強しなくてはいけないな。と私は自分のことは省みずにそう思ったのである。今まで見た作品の中には、作品の署名がひどく崩してあって、「達筆すぎて読めません」と断って、作者不明として出品してある作品もあった。その中にすばらしい作品が隠れていることがある。銀汀。小林銀汀もそうだった。かの種田山頭火の友人(俳人)である。
 私はお金を持て余しているわけではない。月々の小遣いを節約して入札しているのである。だから、その出品者の無知ということが、私の手助けになっていることもある。貧者の助け神である。

イタチ

2010-10-29 22:43:27 | 日記
イタチ



 一生に一度しか訪れない瞬間だったかもしれない。ある朝いつものように私が新聞を取りに玄関に出かけ、抜き取ってそのまま立ちながら拾い読みしていた。すると、私の足もとをするりと通りすぎたものがあった。私があっと思ったときには、その生きものは家の前の歩道脇の側溝に出てその蓋の穴を覗いた。そして長い首を立てて周囲を伺っていた。
 イタチだった。長い首を伸ばして、小さな頭をもたげ、愛くるしい表情で身の周りの安全を確かめている様子だった。細長い胴体、短い足、長い尻尾。茶色のふわふわした毛に包まれたその姿は私の眼を釘付けにした。初めて間近で見た驚きで私はしばらく息を凝らして見入っていた。ほんの十数秒くらいの時間だったと思うが、長い長い時間が過ぎたように感じられた。
 台所に帰って妻にそのことを話した。妻は二三回見たことがあるという。私は車の中で道路を横切る姿を何度か見たことがある。すばやい身のこなしであっという間に横切って逃げていった。あるときは無残に潰れて道路脇に転がっているのを見た。しかし本当は人懐こい性質の小動物かもしれないと私は思った。
 日本画家の誰かがイタチが首をもたげてちっこい丸い眼で辺りの様子を伺っているその姿態の特徴を旨く画面に定着させていた。私はその絵の作者を思い出そうとした。しかしどうしても思い出せなかった。イタチはその絵の通りの格好を私にして見せてくれたのである。私は初めてその画家の目の確かさに気づいた。
 生きものにはその生きもの独特のポーズというものがある。その瞬間に生きものの美しさが凝縮されて表出するものだと改めて思った。