とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

まめなったかね ?

2010-10-09 23:13:28 | 日記
まめなったかね ?



 あるボランティアの仕事をするために会場に車で到着した。
 「あんた、まめ(元気)」だったかね ?」
 後ろから声をかけた人がいた。振り返ると、昨年も一緒に作業した知人だった。
 「なんとかね」
 私が答えると
 「1年が早いねえ」とその知人。
 私はそう言われて、本当だと思った。作業したのが昨日のように思われるのである。私はボランティア作業に今年も参加出来た喜びを感じた。
 ここにちゃんと生きています。
 そういう意思表示をするために私は参加しているのである。このブログもそうである。ここに、こうして、文章を書く私がちゃんと生きていますよ。私はそう呟きながら書いているのである。
 現役時代は仕事をすることがその意思表示だった。しかし、退職すると、何か発信しないと、あいつまめ(元気)だろうか、まさかもうあの世へ行ったのじゃなかろうな、などと思われるだろう不安がつきまとう。
 まめなったかね。ああ、なんとか。
 この会話が何時まで続くだろうか。私は、出雲弁の「まめ」という言葉が好きである。古語の「まめなり」「まめまめし」が語源だろうが、国語辞典にも出ているので共通語としても使われている。
 「まめ」と言えば、『更級日記』で作者の「をばなる人」が「まめまめしき物はまさなかりなむ」(実用的なものはきっとよくないでしょう)と言って、『源氏物語』をすべてプレゼントする場面を思い出す。作者は嬉々として喜ぶ。
 さて、私はと言えば、このごろ読書というものに少しばかり疎遠になってきた。もともと私は読むより書く方が好きだったので、今までの読書量は人より少ないのではないのかと不安になっている。活字に親しむということが年をとるにつれて遠ざかっているのである。
 若いころ、年間1千枚以上の原稿を書いていた時期もあったが、読むことも多少は続けていた。退職して時間が出来れば、書架の読み残しのものを読破しようと思っていた。しかし、なかなかその時間というものが生まれてこないのである。困ったことだ。
 まめでまめに読書。これに限る。しかし、まめでもまめに読めないのが現実である。そうだ、明日は図書館に必ず行こう。そこで「まめなったかね ?」と声をかけてくれる友達にもまた会えるかもしれない。