とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 196 昭和天皇大喪 ダイジェスト版

2017-07-09 16:24:56 | 日記
平成元(1989)年2月24日、昭和天皇の大喪が行われました。ああ、昭和が終わった。そういう寂しい思いが込み上げてきました。


【天皇陛下】 昭和天皇大喪 ダイジェスト版


大喪の礼(たいそうのれい)は、国の儀式として行われる天皇の葬儀。「喪」は「うしなう」という原義から人の死、さらにその追悼と葬儀を意味する字であり「大喪」で「君主の死とその服喪と葬儀」を意味する。日本では「大喪」だけで「天皇の崩御と斂葬」を指す(反対語は君主(天皇)の即位を指す「大典」)。
現日本国憲法下において「天皇の葬儀」は、皇室典範第25条の規定に基づき国の儀式(国事行為)として執り行われる「大喪の礼」と、皇室の儀式として執り行われる「大喪儀」とに区別される。

昭和天皇

1989年(昭和64年)1月7日に崩御した昭和天皇の大喪の礼は、同年(平成元年)2月24日に、内閣の主催(大喪の礼委員会委員長・竹下登内閣総理大臣)により行われた。
「大喪の礼」は、当日午前9時35分に、昭和天皇の霊柩を乗せた轜車(じしゃ。霊柩車)を中心として組まれた葬列(車30台、サイドカー30台の車列、全長約800m)が、宮内庁楽部による雅楽「宗明楽」と陸上自衛隊による21発の弔砲に送られて、雨の降る皇居正門を出発することに始まった。出発前には、皇室の儀式「大喪儀」である「斂葬の儀」の一部である「轜車発引の儀」(じしゃはついんのぎ)が執り行われ、出発をもって国の儀式である「大喪の礼」が始まった。

葬列は、葬送曲「哀の極」の奏楽の中、桜田門を通り、沿道に集まった20万人の人々の間を進み、国会議事堂正門前、憲政記念館前、三宅坂、赤坂見附、青山一丁目、外苑前、青山三丁目を経て、新宿御苑の葬場総門まで到着した(この途中、青山通りで若い過激派の男2人が「天皇制反対」を唱えて車列の中に突入したが、すぐに警備員に取り押さえられている)。到着後、昭和天皇の霊柩は轜車から葱華輦(そうかれん。天皇が用いる屋上にネギ坊主(葱華)形の吉祥飾りを着けた輿)に遷され、鈍色の衣冠単という古式の装束を着けた皇宮護衛官が「輿丁」としてこれを担ぐ徒歩列が組まれた。徒歩列は、雅楽が奏される中、白木造りの葬場殿に入り、霊輦(霊柩が納められた葱華輦)を安置された。

ここで、幔門(門に見立てられた黒一色の幔幕)が閉じられて鳥居などが設置され、国の儀式である「大喪の礼」から皇室の儀式である「大喪儀」が執り行われ、「斂葬の儀」(埋葬当日の儀式)のうち「葬場殿の儀」が執り行われることとなった。「葬場殿の儀」では、奠饌幣(幣帛を奉じる神道儀礼)や天皇の拝礼、天皇による「御誄」(おんるい、弔辞)の奏上、皇后を始めとする皇族や親族の拝礼が厳やかに営まれた。


「葬場殿の儀」が営まれた後、再び幔門が閉じられ鳥居等が外され、内閣官房長官・小渕恵三が「大喪の礼御式を挙行いたします。」と開式を告げることで国の儀式である「大喪の礼」は始められた。次いで、天皇と皇后が葬場殿前に進み、正午から1分間の黙祷が行われた。黙祷の後、内閣総理大臣の竹下登を始めとした三権の長が拝礼の上で弔辞を述べ、外国元首・弔問使節の拝礼、参列者の一斉拝礼が行われ、葬場殿における「大喪の礼」は終了した。その後、午後1時40分から、再び葬列を組み、四谷四丁目、新宿三丁目、新宿四丁目、首都高速道路4号新宿線初台出入口、中央自動車道八王子インターチェンジを経て、午後3時15分に、陵所が置かれる武蔵陵墓地に着いた。陵所では再び徒歩列が組まれて、皇室の儀式として「陵所の儀」が営まれ、昭和天皇の霊柩が陵に納められた。この陵は、武蔵野陵と名付けられた。

「大喪の礼」の当日は、公休日となった(平成元年法律第4号「昭和天皇の大喪の礼の行われる日を休日とする法律」)、なお都心は雨であった。各地では弔旗・半旗が掲揚されたほか、全国のテレビ・ラジオ放送(NHK教育テレビ・NHKラジオ第二を除く)も終日報道特別番組が編成され、民間企業のCMは自粛し、公共広告機構(現:ACジャパン)のCMに差し替えられた。また、多くの公共施設が休館となり、多くのデパート・映画館なども休業した。フジテレビのドキュメンタリー番組『世界が日本を見つめた日』では、当日の報道特集を放送した。

「大喪の礼」には、世界各国から、国家元首、使節、大使等、164か国(EC委員会を含む)・27機関の700人に及ぶ人々が参列した。また、国内からは、皇族、三権の長とその配偶者、国会議員とその配偶者、幹部公務員、都道府県知事、各界の代表者等が参列した(参列者の範囲は平成元年内閣告示第4号「昭和天皇の大喪の礼の細目に関する件」による)。(Wikiより)

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