夫婦神と流鏑馬
声の主はは治子でした。この数日、行く先も告げず、あちこちを彷徨っていた私を気遣って探してくれたのでした。私は、娘に支えられながら車に乗せられました。私の車は稲佐の浜の入り口に置いたままでした。走り出した車の中で私は寝言のようなことを呟いていました。
治子、ありがとう。
お父さんは夢中になると見境がつかなくなるから、・・・いい歳をして・・・心配かけないでよ。
ごめん、ごめん。
もう一人ででかけるのは止めて。
分かった。
ほんと。
ほんとだ。
うそでしょう。また、出かけるんでしょう。
・・・。
ほら、今も何か考えてる。
個展行けなくてごめん。
お母さんが来てくれたから嬉しかった。
それで、どうだった。
冴子さんと坂本さんがお世話してくださって、思ったよりたくさん・・・。
そりゃよかった。
治子、旦那と仲良くするんだぞ。
ああ、分かってる。
治子、これから斐川の佐支多神社に参ろう。あそこは健御名方命の奥さんの八坂豆売命も祀られている。これは全国的にも珍しい。参ろう。夫婦を守ってくださる。
いや、行きません。・・・お父さんを家まで送り届けます。
分かった。それじゃ、後できっと・・・。
いや、参りません。
どうしてだ。
神頼みみたいなことはあまり好きではありません。
そうか・・・。私は未練な気持ちを残したままそれから家に着くまで黙っていました。
出雲市斐川町荘原の佐支多神社(さきたしんじゃ)
祭神は健御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂豆売命(やさかとめのみこと)の夫婦神である。出雲市斐川町神庭の諏訪神社と関わりが深く『出雲国風土記』で取り上げられている社である。
「御射山」という地名がここには残っている。この佐支多神社の前身が「神庭諏訪神社の御射山社」で今でも参道の両側には馬場の地形が残っていて、そこで弓引き神事(流鏑馬)を行ったという話が伝えられている。詳細は次のHPを参照ください。
佐支多神社と神庭諏訪神社の関係>
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声の主はは治子でした。この数日、行く先も告げず、あちこちを彷徨っていた私を気遣って探してくれたのでした。私は、娘に支えられながら車に乗せられました。私の車は稲佐の浜の入り口に置いたままでした。走り出した車の中で私は寝言のようなことを呟いていました。
治子、ありがとう。
お父さんは夢中になると見境がつかなくなるから、・・・いい歳をして・・・心配かけないでよ。
ごめん、ごめん。
もう一人ででかけるのは止めて。
分かった。
ほんと。
ほんとだ。
うそでしょう。また、出かけるんでしょう。
・・・。
ほら、今も何か考えてる。
個展行けなくてごめん。
お母さんが来てくれたから嬉しかった。
それで、どうだった。
冴子さんと坂本さんがお世話してくださって、思ったよりたくさん・・・。
そりゃよかった。
治子、旦那と仲良くするんだぞ。
ああ、分かってる。
治子、これから斐川の佐支多神社に参ろう。あそこは健御名方命の奥さんの八坂豆売命も祀られている。これは全国的にも珍しい。参ろう。夫婦を守ってくださる。
いや、行きません。・・・お父さんを家まで送り届けます。
分かった。それじゃ、後できっと・・・。
いや、参りません。
どうしてだ。
神頼みみたいなことはあまり好きではありません。
そうか・・・。私は未練な気持ちを残したままそれから家に着くまで黙っていました。
出雲市斐川町荘原の佐支多神社(さきたしんじゃ)
祭神は健御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂豆売命(やさかとめのみこと)の夫婦神である。出雲市斐川町神庭の諏訪神社と関わりが深く『出雲国風土記』で取り上げられている社である。
「御射山」という地名がここには残っている。この佐支多神社の前身が「神庭諏訪神社の御射山社」で今でも参道の両側には馬場の地形が残っていて、そこで弓引き神事(流鏑馬)を行ったという話が伝えられている。詳細は次のHPを参照ください。
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