とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 117 翼をください/山本潤子

2017-03-14 22:21:29 | 日記
AKIRAはこの山本潤子の唄が落ち着いていて一番すきです。同名の演劇を見ました。劇中で唄われていて感激しました。

翼をください/山本潤子


「翼をください」(つばさをください)は、作詞:山上路夫、作曲・編曲:村井邦彦による日本の楽曲。

赤い鳥(あかいとり)は、日本の音楽グループ。1969年に結成、1970年代を中心に活動し、1974年解散。

「翼をください」はフォークグループの赤い鳥が1971年2月5日に「竹田の子守唄」のB面曲として発表した。もともとは1970年に三重県志摩郡浜島町(現:志摩市)の「合歓の郷」で開かれたプロ作曲家コンテスト「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'70」のための曲として作られ、赤い鳥メンバーがこの曲を提供されたのはレコーディングの2時間前であった。
1973年9月25日にはやまがたすみこが『あの日のことは やまがたすみこフォークアルバム第二集』の1曲としてカバーし、澄んだのびやかな歌声でこの曲のファンを増やした。のち、教科書出版社の教育芸術社の橋本祥路が教科書に収録して以来、合唱曲として有名となり、1970年代後半から学校教育の場でもよく採り上げられるようになっていた。そのため、日本国内では老若男女誰もが歌える愛唱歌である。
1991年1月23日に川村かおりがカバーして発売、約28万枚のヒットとなった。1997年11月12日には元赤い鳥の山本潤子によるシングルが発売され、1998年1月時点で初回出荷枚数の10倍、2万5000枚(東芝EMI発表)を売り上げた。山本版は1998年1月開始のTBSドラマ『花王 愛の劇場 風になりたい』の主題歌に起用された。なお、山本は赤い鳥のボーカルだったので、事実上セルフカバーである。
FIFAワールドカップフランス大会予選のUAE戦(1997年10月26日開催)からサッカー日本代表チームの応援歌として歌われるようになった。1998年にはこれに便乗する形で小宮悦子、川平慈英、山本シュウらによって結成された企画ユニット「ザ・つばさーず」が「翼をください」をレコーディングし、同年3月発売のミニアルバム『サッカー天国』に収録した。1998年の長野オリンピックでも山本潤子が歌っている。
「翼を下さい」と表記されることもある。なお、厳密な意味で「ください」を「下さい」と漢字表記した場合は、1972年に制作され、赤い鳥としてもシングル(1972年11月20日発売の「翼を下さい/月曜日はブルーな日」のA面曲)として発売した英語バージョン(英語曲名は「I WOULD GIVE YOU ANYTHING」)を指す。


バージョン違い

当曲の2番の歌詞は「今富とか〜」で始まるのが一般的だが、赤い鳥がシングルを発売した当時はその部分の歌詞は省略されており、「子供の時〜」で始まっていた。
テレビなどで演奏するときは、1番の「今私の〜」と2番の「今富とか〜」を歌うかわりに、1番の「この背中に〜」と2番の「子供の時〜」を省略したりなどのバリエーションもあった。
前述した英語版「I WOULD GIVE YOU ANYTHING」(英訳詞:Gayle Caldwell)は1番・2番ともにAメロが1回のみである(日本語版は1 - 2回、また後に山本潤子が英語版を日本語版とともにセルフ・カバーしているが、このときは日本語版と同じメロディーのため、Aメロを2回歌っている)。
英語版はこの他にも、カノンが訳して歌った「Wings to Fly」などが存在するなど、ヴァージョンは数多く存在する。
またカバー・アーティストの中にも、2番の「今富とか〜」を省略して歌うアーティストが存在する。(Wikiより)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。