とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

「伊丹堂」今昔

2011-02-05 23:00:05 | 日記
「伊丹堂」今昔



 先ず次の写真を比較してご覧ください。

 ①現在の「伊丹堂」



 ②現在掲示してある「伊丹堂」の由来



 ③昭和48年当時の「板箕堂」



 ④上の「板箕堂」を土手下から撮った写真




 私が斐伊川の歴史にいたく興味を持っていたのは昭和40年代である。調べていくと、斐川町出西地区の斐伊川東岸やこの写真の一畑電鉄大寺駅の近くの「伊丹堂(いたみどう)」にまつわる人柱口碑が昔から言い伝えられていたことが分かった。このことは後日詳細に「座礁」のページでまとめて再発表するが、ここでも簡潔に触れておきたいと思う。
 私は上の③と④の写真を撮ったころにはこのお堂の由来を記した掲示はなかった。傾きかけた小さなお堂がポツンと土手の斜面に建てられていた。支えの木材があり、何だか痛々しかった。
 私は、佐藤徳堯氏が書かれた『山陰の民話』にまことに哀しい話が載っていたのを今でも鮮明に覚えている。

 度重なる斐伊川の氾濫に苦しめられた地元の人々がある日相談して人柱を立てることにしようということになった。朝、この土手を最初に通りかかった人を穴埋めにしようということで落とし穴を掘り、ある朝まだ暗いうちに数人が土手下に身をひそめて待っていた。ところへ遠くの方から足音がして一人の女が近づいてきた。その女は手にいくつかの板箕(いたみ)を持っていたが、その板箕とともに穴に落ち込んだ。
 すばやく泥をかけながら男たちはその女の顔を見てびっくりした。うら若い少女だったのである。しかもじっと手を合わせて祈るような仕草をしている。心なしその体から光が発しているように思えた。観音様のように見えたのである。男たちは顔を見合わせてためらったが、これも掟と涙をのんで泥でその少女を埋めてしまう。
 後でその少女(お定)の身の上を知って、男たちは非常に胸を締め付けられるほど哀しんだ。その少女は、既に父親は亡くなっており、母親は眼病を患っていた。その母親に代わって板箕を売りに隣の町に出かける途中だったのである。
 その日、地元の人々はその少女のことを知り、あまりの不憫さに泣いたという。地元の人々はその少女霊を慰めるためにお堂を立て、観音様をまつった。そのお堂は板箕に因んで「板箕堂」と名づけられたという。(この話では観音様をまつったとあるが、現在は地蔵さんの像がまつってある。また、そのお堂の名前は「板箕堂」と記してある)

 出雲市のHPには次のような話が載っていた。引用させて戴くことにする。

 古老の話によれば、その昔、斐伊川の大洪水のため堤防が切れ大きな被害にみまわれた時、地元では大勢の人々が修復をするためにかりだされましたが、中々水止めができませんでした。
 板箕(いたみ)売りの父娘が通りかかり
「人柱をたてなければ、水を止める事はできないですよ」
「人柱は、褌(ふんどし)に赤いつぎ(あて布)のしてある人が効果的です」といったそうです。
 工事の関係者たちはその言葉を信じて、通り掛かりの人たちを調べ始めた所、板箕(いたみ)売りの父親が褌に赤いつぎをしていたため、やむなくその父親が人柱になったそうです。 結果、土手の修復は成功して水は止まりましたが、板箕(いたみ)売りの娘の悲しみは傷み(いたみ)切れないほどだったようです。 地元の人々は早速、板箕(いたみ)売りの霊を鎮めるため、地蔵尊を祀ったという人柱伝説が残っています。

 と、このようにまことに哀しいお話が残っているのである。
 ところが、現在は、写真②の説明のような藩主松平直政の仏教的因縁話としてまとめられている。このことを私は数年前に知って、そうかなあ、と思った。どうしてそんな風になるのか。すると、「伊丹」という言葉の根拠は何だと思ったのである。出雲市のHPにもこの因縁話が併記されている。
 現在の掲示板(案内板)には研究者の名前が明記されているので、いずれそのお方に問い合わせしたいと思っている。
 上記の若い娘を人柱にする話は、以前『出雲文学』(昭和49年発行)でも私が紹介している。人柱口碑は全国的に語られていて、いろいろな類型がある。私はすべて真実を語っているとは思っていないが、そういう話が伝わっているということの底流にある自然の猛威に対する人間の恐れの深層に私は注目している。(『山陰の民話』では、「板箕」とは縁のついた菜切り台だと説明されている)

補足資料のページ

(追記) 佐藤徳尭氏の略歴

佐藤徳尭(さとうとくぎょう) 別名(通称・俗称)佐藤水晶, 佐藤徳堯
生没年:(西暦 1897~1983 (和暦)明治30年~昭和58年
出身地: 米子市 
活動分野及び業績:小説家。「米子文学」に拠る。民話集の刊行。米子図書館「佐藤文庫」。