とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

人柱荒神

2011-02-12 23:35:17 | 日記
人柱荒神




 斐伊川と関わりのある人柱の話をもう一つ。





 地元のお方に尋ねてやっと現場に辿りついた。場所は斐伊川東岸の出西岩樋の近くである。遠くから見ると田の中に植え込みがあった(写真上)。近づいて植え込みの周囲をよく見ると、根元には石が数個並べてあった(写真下)。これが出西の人柱荒神 ? 私はそら恐ろしいものを想像していたので、拍子抜けがしたような気持ちになった。昭和48年のことである。
 私は予め調査してその話の概略は知っていた。次に引用したい。

 『斐川町史』(該当の項目は岡義重氏担当)によると、次のような話が載っていた。
 
 昔、出西の土手が崩れ大川の水が溢れて止められなかった。村の人々はただ水勢を眺めて途方に暮れているばかりであった。
 「この勢いではとても止められん。人柱と云って生きた人を沈めると流れがたちまち止むそうだ」と言う者があった。その中に居た清太郎という村の人が、これを聞いて「多くの人のためになるなら、自分の命を惜しむことはない」と、さっと走って激流に飛び込んだ。その家の下男清十郎というのが「わしも主人と一緒に」と、その後からまた飛び込んだ。人々は「それっ」と一挙に土俵を投げ込んだので、やっと土手を止めることができた。
 村の人はこの二人に感心して、二人の人柱の流れ着いた処、岩樋の下の山麓へ荒神様にまつった。これを「清三郎荒神」と称せられている。また上の岩海の堤が切れた時にも人柱をたてたと伝えられている。(出典『雲陽誌』など)

 私はこの話も虚構性が強いと思ってはいるが、人柱口碑自体がもともとそういう性質のものだと思っているので、こういう話が生まれる人間の深層に注目していたのである。それから私は荒神様にまつったというところに特異性を感じているのである。
 この口碑については実証的な史料とか反証的な史料には今のところお目にかかっていない。