流行風邪 亜紀子
寒暁や万の玻璃窓まだ覚めず
黙然と時を貪る榠樝の実
他人とも思へず日々の榠樝の実
柚子畑の黄金に年も暮れにけり
冬晴や山路自在に郵便夫
もの枯れて杉の暗きへ明智越
柚子煮るや日々とどこほりまた進み
大鷹を甍に落す流行風邪
けふ何か欠けをり鶲来ぬ日なり
よきことがあるよと咲くや冬すみれ
故国へは帰らぬメリー・クリスマス
飯もらふ街の雀のクリスマス
立ちかはり寒禽あそぶ父母の庭
白腹の鶇鳴きして梢をたつ
手を合はせ初日をろがむ辛夷の芽
流行風邪 亜紀子
寒暁や万の玻璃窓まだ覚めず
黙然と時を貪る榠樝の実
他人とも思へず日々の榠樝の実
柚子畑の黄金に年も暮れにけり
冬晴や山路自在に郵便夫
もの枯れて杉の暗きへ明智越
柚子煮るや日々とどこほりまた進み
大鷹を甍に落す流行風邪
けふ何か欠けをり鶲来ぬ日なり
よきことがあるよと咲くや冬すみれ
故国へは帰らぬメリー・クリスマス
飯もらふ街の雀のクリスマス
立ちかはり寒禽あそぶ父母の庭
白腹の鶇鳴きして梢をたつ
手を合はせ初日をろがむ辛夷の芽
嵯峨水尾柚子の里 亜紀子
十二月八日、関西同人会吟行に参加。ジャンボタクシーをチャーターして京都駅を出発。行先は愛宕山麓水尾村、柚子の里として知られている。山下先生から十月にいただいた書状に「あしび時代に星眠先生ご一緒して」とあった。季節になると京都近辺の会員の柚子村を詠まれたらしい句を散見する。この地のことではないかと想像していた。京都市右京区嵯峨のさらに奥、京都府道五十号線を一気に二百メートル余登る、四方を山に囲まれた急峻な谷間の村。水尾は十四世紀花園天皇に始まる柚子栽培発祥の地とされている。江戸時代には大阪箕面の止々呂美、埼玉の毛呂山、高知の北川村などと共にすでに産地として知られていたとのこと。
小春の京の街を抜け、化野でみゆきさんを拾い総勢九名、道はいよいよ険しくなる。車一台分の幅の九十九折、窓下に沿う保津峡の流れ。カーブの所々に降雪時の滑り止め用砂箱が設置されている。とてもすれ違いなどできないと思われるのだが、時折止って上手い具合に対向車を遣り過ごす。さすがにプロの運転手さん。もっとも喜子先生が父と訪れた時はもっと厳しい道であったようだ。これでもだいぶ整備されているらしい。運転をしない乗客は割合呑気にお喋り、自分も運転をする乗客は思わず足に力が入って踏み込んでいる。途中、分岐した薄暗い細道が保津から嵯峨を結ぶ明智越と教わる。明智光秀が本能寺の変で京の信長を攻めた折に行軍した道の一つ。杉木立の奥へと消えている。
ときたまリュックを背負った人ともすれ違い、その健脚に感嘆。そのうちに眼下の渓流に架かる鉄路が見えた。それが秘境、JR保津渓駅とのこと。その駅から水尾村へ四キロメートルほどのハイキングコースだそうだ。またこの駅とは別にトロッコ列車の保津渓駅もあるとのこと。山陰本線旧線を利用した亀岡と嵯峨を結ぶ観光鉄道で、冬季は休業。若葉や紅葉の頃に渓谷を行くトロッコに乗ってみたいものだ。
水尾村(みずお・みのお・みずのお)は坂がかり。家々は斜面に建っている。畑は冬枯れの様だが、小流れを挟む柚子畑はたわわの実に日が照って眩しい。梯子をかけて叔父さんが収穫中。溢れんばかりの大粒の実を入れた腰籠は重そう。梯子が細長く軽そうなのは木を痛めぬためだろうか。これが詠み継がれてきた柚子梯子。村の通りを歩けば、各家の軒先には四角いプラスチック籠に柚子満載。その中の一軒の土間で女の人が二人袋詰め作業をしている。お姑とお嫁さん。一袋六つは入って五百円。帰りに寄って売ってもらう約束。出荷前にお商売ができるなんて、と少しおまけもしてもらえた。
細い坂道を郵便屋のバイクが登ったり止ったり。門辺に真っ赤な南天。昔、安中の石井秋村さんが杵柄の原付で各地の句会を回られ、父のところへ報告に寄ってくれたのを思い出す。秋村さんも若い頃は在所の山道を縦横無尽に配達されていたと聞いたのは遥か遠し。家並の途切れたところで伊達先生が青天に一羽の鷹を見つけられ、一同しばし悠々の鳥となる。
帰りがけ件の柚子を購入。この家は冬季は柚子風呂と鶏すきを提供するとのこと、立派な構えの玄関へ案内されて名刺をもらう。再び車で山路を戻り、途中鯉あげされた広沢池のほとりを通り、高雄へ行き昼食、句会となった。
この週末に名古屋橡会の納め句会があり、水尾の句を携えて参加。満を持して行ったつもりだが、思ったほどには伝えることができなかった。柚子と聞けば先ず土佐が思い浮かぶという意見も出た。吟行句を仕上げるのは難しい。自分が見たものを誰でも同じように知っているという無意識の錯覚がある。父の句を振り返ってみると柚子湯の句は割合見つかったが、梯子や畑の句は見付けられなかった
星眠
往診のあとの二度湯や柚子溺れ
耳打ちをしては寄りくる湯浴柚子
病棟を閉ぢて久しや木守柚子
湯槽にてしばらく柚子のビリヤード
柚子を採る日和ほどなく崩れけり
選後鑑賞 亜紀子
島人の静かに祀る諸霊祭 菰原寿子
諸霊祭は十一月二日、キリスト教、主にカトリックにおいて全ての亡くなった信徒の魂のために祈りを捧げる日。祈りにより煉獄にある魂を浄め、天国へ近づける意味があるそうだ。「静かに祀る」という、時に説明調になりがちなごく簡便な言葉を使いながら、信仰に生きてきた島民の様子が実感を持って伝わってくる。穏やかに繰り返す波音が背景に聞こえてくる。「島人の」という詠みだしの語の効果、「諸霊祭」という信仰を背負う言葉の効果であろうか。
思ふさま紅葉さらふや小夜嵐 貞末洋子
昼間に見た美しい紅葉。つのる夜風に好きなだけ吹きさらわれてしまう。闇の内で色は定かではないのだろうが、光のもとでの記憶と相まって却って一層鮮やかなイメージが膨らむ。「思ふさま」という出だしはなかなか思いつかない。
沢蟹の浮かれ出づるや小六月 寺澤美智子
沢蟹は水のきれいな渓流などに生息。活動期は春から秋にかけて。よく目にするのは夏季であろう。人も涼を求めて清流の辺へ寄る故だろうか。季語としても夏部になる。こうした生物の常として冬季は岩陰に身をひそめて冬眠するようだが、暖かな日には活動することもあるのだろう。今日の日和に誘われて現れた様は鋏を掲げて横歩きに踊っているかのよう。作者もまた小春日のすずろ歩き。
葛叢の一夜に沈み霜日和 宇井真沙子
一面の葛原には既に盛りの勢いはなかったものの、全てを覆い尽くして盛り上がったその形骸は保たれていた。それが俄に冷え込んだ一夜にして萎え萎んでしまった。「沈み」の一語にその消息がよく伝わる。放射冷却の朝だろう。空は晴れ渡り、焼けた葉を縁取る霜飾りの輝き。
山茶花やひとり暮しの友増えて 南ひろ子
作者はかなりのご高齢のはずである。ひとり住まいも長いが、折々新しい友人もできる。自ずと同じ境遇の仲間が集まるわけだ。赤や、ピンクの山茶花が盛り。木下にも賑やかに散る花弁。時々目白の群がお喋りしながら潜っていく。穏やかに明るい、自律した一人暮らし。山茶花が利いている。
屋根やねに雪梯子かけ冬に入る 市村一江
降雪地帯では雪下ろしのための屋根梯子を常に作り付けてあるそうだ。掲句の梯子もその類いであろうか。どの家にも初冬の空を向いて出番を待つ梯子。絵にもなりそうな町の姿。
残る柿めざし烏の黒マント 木村征代
鴉が近くまで飛んでくると案外の大きさに驚く。庭柿を目指してたわたわと滑空してきた様はまさに黒マントを広げた怪人さながら。作者はどきっとされたことと思う。
幼子の落葉踏む音をふしぎがり 佐藤雅子
大人には大方のことは当たり前になってしまっている。本来は疑問を持ってしかりのことでも何とも思わず通り過ぎてしまう。幼い子供にとってはこの世の経験はすべて初めてである。自分の小さな足が踏みしめる度にかさこそ鳴る落葉も不思議の世界。その子の心を受けとめる作者は幼子の世界近くに居る。
医師迎ふ仔豚の顔や流感期 星眠
(営巣期より)
兄弟それぞれ父の往診に連れられて行った。年の離れた末の妹が一番よくお供をしたろう。
そんな日のことを思い出す。
(亜紀子脚注)