エルニーニョ舌出して梅雨乱れけり 亜紀子
椋鳥の親 亜紀子
明易の唄ひとくだり四十雀
人絶えて白雲木の花垂らす
干し物も風に翩翻端午なる
歳々になまる節ぶし初蚊出づ
雲かづきつつ肌見する皐月富士
六月の乙女晴れたり曇つたり
葉巻ほど太る豌豆箱詰めに
街薄暑玻璃戸に年は隠せざる
子雀に甍広場のだだ広き
椋鳥のいよよ濁声巣をかばふ
形ばかり大きくなつて巣立鳥
隣り家も南天ひそと花こぼす
巣を狙ふ鴉間合ひをはかりをり
椋鳥の親と鴉の根くらべ
巣をめぐる均衡椋鳥が崩しけり
汝自身を知れ 亜紀子
部屋に椅子ひとつあるのみほとゝぎす
驟雨来ぬたやすくけぶる落葉松に
汗の胸葛のあらしの沁みとほる
夜蛙や高嶺をめざす人に逢ふ
綿蟲や日は焼岳にけぶり落つ
暮れかねて白樺淡き蛾を放つ
お花畑ゆふべ真紅の霧を噴く
とりかぶと霧の奔流湖に消ゆ
星合を明日に貧しき沼の星
白樺のしゞまに堪へず雪降るか
堀口星眠
五月十日、俳句大会に続く「お別れの会」は全国から大勢の方にお集まりいただき、父に一番相応しい形で偲んでいただいた。遠方をおして、あるいは体調をおして参加いただいた方々、感謝に堪えない。そうしてそこに父星眠の姿があって久闊を叙していただけたらと詮無い思いを止めることができなかった。
挨拶の辞で遠藤先生が以前書かれた、星眠の処女句集の解説を紹介した。当日参加いただけなかった方もたくさんいらっしゃる。先生の了解を得て、そのご文章をもう一度紹介したい。
「道」 遠藤正年
たとえば〈茅潜喨々と夜を好むらし〉。この調べ、身について忘れることがない。たまたまの吟行、また普段でも思わず口を衝いて出てくる。そういう句の宝庫が私にとっての『火山灰の道』である。
序、水原秋櫻子。跋、石田波郷。瀟洒な伊藤廉画伯の装幀。著者が「生涯の道を決定した」秋櫻子との出合い。相馬遷子、大島民郎、岡谷公二、それに秋櫻子、波郷も加わる軽井沢「森の家」句会。高原派の共著句文集『自然讃歌』の刊行などが、収録四百七十五句の背後に併行してある。
槍ヶ岳の頂上に著者と藤田湘子ら、乗鞍岳剣ケ峰の頂きに秋櫻子と民郎といった人たちが、打合せもなく同時刻の午前五時に、俳句を詠むために立ったという叙述に始まる序文は、しばしば引用されるが、著者への期待と、尊敬があらわれていて感動する。沈思孤独に拘わらず作品の明るいことを称え、芸道に優れた人に多く見られる型の人だという。これは秋櫻子の理想具現の句集であったといえる。また、跋で波郷の述べるように純粋に全人格を自然に投入させた句は、誦していると居ながらにして自然のふところ深く迎え入れられる心地がする。「エレガントな感覚」「ダンディな詠みぶり」これらは愛誦はすれど到底倣うことの出来ないものである。
巻頭に挿入された著者若き日の影像は、雪嶺を背に右方の空間へ視線を向けている。俳句文庫の近影は偶然同じ装いで左方を見る。これに思うのは「詩は高い道徳とならねばならない」という著者後年の言葉だが、『火山灰の道』にすでに托されていたのである。
秋櫻子の『葛飾』はいうまでもなく、誓子の『凍港』、草田男の『長子』などのように、處女句集がすぐれた作家を決定する場合がある。これらは古典として永く読み継がれる。『火山灰の道』もすでにこの領域にある。
『最初の出発』平成五年刊・東京四季出版
ここに『火山灰の道』の位置づけ、ひいては星眠俳句の価値が明確に表されている。肉親ということを抜きに、まこと大きな人を無くした思い。さあ、これからどうしたらいいのか、どうしようもないではないか、正直な気持ちである。
「汝自身を知れ」この古人の格言を銘に、とにもかくにも前を向いて行くのが自分の務めだと考える。
選後鑑賞 亜紀子
新看護士軽鳧の子のごと付きゆけり 石橋政雄
入院患者の支えは担当の医師であるのは言うまでもないが、実際の細ごました病床での生活を頼るところは看護士である。社会生活上では各々役割を持つ人も、老いも若きも、病院では等しく患者である。労をいとわず明るい看護士に助けられる。その看護士も新米はベテラン看護士を頼るのだろう。学校を出たての、この春から勤め始めた一人が、何をするのも先輩の後に付いて研修中である。緊張気味にちょっと小走りに付いて行く姿に思わず軽鳧の子を連想。自身の病はさておき、作者の目はこの真面目な若者を暖かなユーモアで包むのである。
スケボーの少女ひと蹴り風五月 瀬尾とし江
スケボーの一語が少し舌足らずな感じもするが、いかにもひと蹴りに板に乗って滑り出した感。五月の風に少女の長い髪もなびく。
ノーネクタイ上司も部下も夏に入る 勝部豊子
省エネファッションのノーネクタイも久しい習慣になった。上も下も裃を脱いだ感覚。人の気持ちは形にも左右される。ノーネクタイが上下関係の風通しも良くするやもしれぬ。
皮脱ぐやいきなり太き今年竹 小野いずみ
この春市内の植物園の一角の竹林を尋ねた折、黄金を散り敷いたような落葉の上に琅かんの逞しい太竹が幾本も並び立っていた。掲句そのままに、まだ皮を脱ぎきらぬものもあり、今年のものと分った。
伽羅蕗の大鍋かへし庫裏にほふ 大野藤香
広い寺の厨の仄暗い空間に蕗を炊く香が満ちている。お庫裏さんが焦げ付かぬよう大鍋を返すと、蕗と醤油の香りがまた際立つ。辺りは長閑な初夏の景。
麦の風雀十羽を吹き出せり 市川沙羅
実りの麦畑を煽る風に一群れの雀が舞い上がった。ただそれだけの描写に、黄金に稔った畑、この頃の乾いた風、肌に触れる温度や湿度、少し埃っぽい匂いなどが綯い交ぜに浮んでくる。
わらび狩ひとりは雲に隠れけり 菅好
山菜採り、茸採りなどで山奥に入る時は、多くの場合は独りでは行かぬと聞いている。二人以上で安全確認しながら採集を楽しむのだろう。掲句、どこかに人知れぬ穴場でもあるのだろうか。仲間の一人がいつのまに雲隠れ。山の天気も変わりそうな予感。しかし慣れた者ゆえ、頃合いには必ずまた合流するのだろうと思われる。
花烏賊を糶りし鋭声は女なる 金子まち子
桜の咲く頃、産卵のために内海に集まってくる烏賊を花烏賊と呼ぶようだ。威勢良く鋭い糶声で競り勝った主はと見れば、女性であったのに驚く作者。花、糶、鋭声の女、桜時の魚市場の活気
高速道つらぬく春田起しをり 貞末洋子
春田打の野を貫く高速道路。何処でも見られそうな現代の郊外の農村風景であろうが、このように詠まれた田返しの句は珍しい。