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橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞平成31年「橡」3月号より

2019-02-27 06:30:03 | 俳句とエッセイ

 選後鑑賞 亜紀子

 

短日やトイレ掃除の女子トーク  豊田風露

 

 トイレ掃除、女子トーク、橡集の俳句ではお目にかからなかった片仮名語。かといって現在の日常では特別な言葉ではなく普通に使われている。作者は十代の高校生。ことさらに新しさを意識したわけでなく、ご自身の普段の生活の中から感じたところを自然体で五七五にされたのだと思われる。作為、嫌みがなくすんなりとこちらの胸に落ちる。それでいて短日という季語が利いているのが、俳句作者たる所以。冬の日は早傾いた放課後の翳り。生徒一人ひとり、それぞれの思いがあることだろう。女の子たちは元気そう。彼女たちを横目で眺めている作者は、女子パワーに圧倒されているのか、それとも淡々と距離を置いて写生しているのか、自分の姿を出さないところが心憎い。新鮮さと、俳句らしさの両方で勉強になった。

 新鮮であるということは初めの一回限りということ、これは老いも若きも等しく心しておこうと思う。また当たり前のことだが、新しい言葉を使えば新しい句になるかといえば、そうではない。新語の陳腐な句はいくらでもできる。要は詩心だろう。

 

星眠先生の『俳句入門のために』の「詩心」の章から、

—素手、素裸になった人の心、情、それが詩につながるのかもしれません。教養とか、経歴とか、智力とかを剥がしたところにある情が大切で、これは生得のもの、親から受けついだもの半分、自分の歩く運命が半分なのかもしれません。 巧いけれど、どうもそれだけで後にのこらない句というのは、この情のない人または表わし得ない人ではないかと思います。—

 

大変難しい投げかけであるけれど、本質を突く言葉として受け止めて進みたい。

 

幾つもの願ひは闇に流れ星    古川桜子

 

 この作者の昨年十二月号の句、

うなぎ屋や壁の色紙にちびまる子

は記憶に新しい。ちょいと投げやったままのような一句に、まる子の作者、さくらももこの個性がよく感じられた。作者はデイサービスなど利用されて暮していらっしゃる由。重なる脊柱圧迫骨折で身の不自由なこともあろうかと拝察するが、流れ星に願い切れない夢を託される。作句精神はあくまで柔軟。

 

飛機の灯の音なく引くや神迎へ  宮下のし

 

 高空を行くのは流れ星のようにも見える飛行機の灯りか、あるいは暮れ行く空に引かれた飛行機雲か。いずれにしても神迎へという季語と相俟って、初冬の空を仰ぐときの情趣が惻々と感じられる。

 

銀座より遠富士望む寒の入    松尾守

 

 銀座のどの辺りからの眺めだろうか。銀座と遠富士の語を寒の入が締めてくれた。

 

故里の川の名前を書初に     佐藤多美野

 

 懐かしき川、きっと良き名であろう。その書初に懐かしき山河の思い出が溢れてくる。

 

尼寺に淡きかげおく冬の菊    佐藤法子

 

 尼寺の静かな起居の様が、冬菊の淡きかげに暗示されて趣き深い。

 

七草や子らつぎつぎに帰りゆく  太田順子

 

 賑やかだった正月が終わり、皆が次々と帰って行くのは寂しいが、子等の家族の一年の健康と繁栄を願いつつ、薺粥で送り出す親心。

 

 

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