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橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞平成29年「橡」6月号より

2017-05-28 11:11:13 | 俳句とエッセイ

 選後鑑賞  亜紀子

 

竜天に登る碁点の瀬の響    片倉新吾

 

 天に登り、雲凝らし、雨を呼ぶ竜。万物春動く気配を竜に託す想像上の季語であるが、作者は故郷山形の自然を今まさに肌身に感じているのだろう。最上川舟運にとっての難所碁点の瀬。岩走る雪解け水。草木は萌え出で。水を司る神獣と大河最上のイメージも響きあう。

 

よべの雨いよよ貝母の俯けり  布施朋子

 

 早春、雨がちになり季節が動くのを感じる。朝まだき乾かぬ庭隅に貝母の花。俯いた姿がいかにも可憐。編み笠百合の別名の示すように、下を向いたそのベルの内に細かな編み目模様を秘めて奥ゆかしい。

 

野送りの回りをさめや桃一里  小野田晴子

 

 葬送、且つては文字通り徒歩での野辺送りだったろうが、今のことであるから車やバスを仕立てての行進と思う。火葬場までゆかりの地なども選ばれての道程であろうか。故人と馴染みの人々が行く先々に立って見送ってくれているのかもしれない。一帯は桃の花盛り。明るい桃の花畑との対比が悲しみを深めている。一里という古めかしい語が句の納まりを決めている。

 

初採りの蕨の首をそろへけり  西村恵美子

 

 山菜採りは「楽しいわよ」とずいぶん若かった昔に友人から聞いたことを今でもよく覚えている。自分も田舎に育ったけれど、山菜採りには親しみがなかった。春の野山に分け入っての収穫の喜びは、レクリエーションとしても格別の楽しさという事だった。籠一杯に採ってきた初蕨を新聞紙か何かの上に広げて、頭を揃えて束ねる作業。その後の灰汁抜きのための工程。掲句の作者も早春のうきうきした気分をよく知っているようだ。

 

鶴の羽根残る春田を打ちてをり 川南清子

 

 橡集五月号に

万の鶴引きし荒崎がらんどう

と詠んだ作者。いよいよ本格的に農作業開始となり、鶴の痕跡は落された羽根のみに。毎年の風景なのだろう、万羽の鶴の落し物であるから相当数散らばっているのかもしれない。先の句の「がらんどう」とは鶴の引いてから田起し前の間隙の、そのいっときの感慨であったことを知る。人々も鶴も生活は回っていく。

 

畑打つや土塊の影濃き日なり  満園凉一

 

 畑打ちの始まりの頃はいわゆる光の春だろう。風はまだ冷たいが、空の光は案外に眩しく、春到来に疑いはない。起こした畑の土、光の当る部分は明るく、影は黒々とコントラストがくっきりしている。作者は土に長年親しんできた人であろうか。農にたずさわる人の五感が捉えた季節の微妙な趣き。

 

片栗の花にかしづくカメラマン 上谷富子

 

 早春の林、落葉のしとねから顔を出した片栗の花。片栗の丈は十センチメートル程。花をアップで撮影するには地面に這いつくばってレンズを寄せる必要がある。そのカメラマンの姿を妖精の王女にかしずくと見た。

 

すつぴんと妻をからかふ四十雀 斎藤博文

 

 四十雀は確かにすっぴんと鳴いている。早口だから「すっぴん、すっぴん」と囃されているような感じもある。ところで最近偶然に、とあるベテラン映画監督とカメラマンコンビの記事を読んだ。女優さんの表情の美しさが定評の理由。どの女優さんもほぼノーメイクだからと一言。

 

 

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