橡の木の下で

俳句と共に

草稿08/29

2022-08-29 16:45:36 | 一日一句
公園に子らの雄叫び晩夏光  亜紀子

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「三伏」令和4年「橡」9月号より

2022-08-29 09:29:42 | 俳句とエッセイ
三伏   亜紀子

三伏の物価高騰容赦なく
熊蟬と古洗濯機辟易す
熊蟬を素知らぬ顔のイヤホーン
熊蟬の声はどしや降り傘は無し
草木も息ひそめたる日の盛り
片陰に入りても暑き往き還り
蜃気楼のやうに猛暑の街があり
天帝も暑に疲れたる夕かげり
河骨の夢のほとりに蝶とんぼ
形代や外つ国に住む子も記し
影曳いてたちては休む三筋蝶
七月や力士と並ぶレジの列
手を引かれ昔緑のソーダ水
吟醸のきんと冷えたる呉須の色
ボランティアガイドと巡る瀧の園


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「朝顔」令和4年「橡」9月号より

2022-08-29 09:25:10 | 俳句とエッセイ
 朝顔    亜紀子

 七月二十五日早朝、ベランダの朝顔が咲き始めた。青藍の二花。想像していたよりも大輪だ。前日確かめた蕾の先には濃い紅のおちょぼ口が覗いていた。青色系の苗を二つ植えた筈なのにと訝しく思ったが、やっぱり青で良かった。萎む時にはまた紅色に戻って縒れるのが面白い。翌日からは確実に花数が増えてゆき朝の来るのが楽しみになった。
 径三十六センチの十二号鉢に丈百三十センチ程のリング支柱。伸びるに任せて放ってあったので蔓も葉っぱも繁茂するばかりで朝顔というよりは熱帯植物の様相。それがちゃんと咲いてくれて、どことなく涼しさを覚える。実際には我が家のベランダは朝からむっと暑いのだが。朝顔は小学一年生の夏休みの宿題の植物観察の定番で、学校で育てていた鉢を一学期の終わりに皆各家庭へ持ち帰る。盛夏の花のようにも思うが、俳句では旧暦七夕の頃の花として秋の季語。初秋の花となっている。そう思えばこの異常なほどの猛暑続きの日々ではあるが、夕暮れの傾いた日の色が心なしか寂しい。小さなお社の夕蟬が(これは油蝉で熊蝉ではない)すずろに人恋しく響く。高空のどこかに季節の使いが来ているような。
 色々見てみると朝顔は六月から十月頃まで咲くらしい。コロナのせいで今年も中止となった入谷の朝顔市は例年七月六日から八日に開催され歳時記では夏の項。朝顔の花であればあくまで秋季。平成元年発刊の「橡新歳時記」の朝顔の説明文が興味深い。
朝顔 牽牛花 朝開花する 近年は夏から咲く
 朝顔は昼の時間が短くなって蕾をつける短日植物。蕾が付くには一定以上の夜の時間が必要とのこと。そして蕾はだいたい十時間くらい連続して暗闇に晒されると開花するそうだ。日没から十時間後であればその時朝日が出ていようがいまいが関係なく咲くという。気温の影響も多少はあるらしく、高ければ開くのは少し遅く、低いと少し早まるそうだが、あくまで鍵は闇の時間だという。成る程この猛暑最中に咲く朝顔に秋の気配を感じたのはあながち間違ってはいなかった。橡歳時記の解説を読み解けば、昔は日の傾きに従う朝顔は秋知る花と誰もが自然に感じていたのではないだろうか。朝顔が蕾をあげる頃、朝夕には暑さも一段落していたのではなかったか。
 そういえばこの頃熊蝉が少なくなった。朝早くから耳も破れんばかりに鳴いていたのだが今は油蝉が優勢。関東にいた頃はこの油蝉も中々元気な声に聞こえたが、名古屋の街中で熊蝉を耳にするようになってからは他の蟬はどれも大人しく感じる。先日その名古屋に十年ほど暮らす英国人と話す機会があった。彼は名古屋がとても気に入り近々家族のために家を購入したいと考えている。ただ一つだけ苦手なのは蝉の声だという。大音声に音を上げていた。時々洗濯物に止まった蝉に奥さんがパニックになるとも。蝉の話をするうちに急に不思議そうな顔になり、今の今まで蝉は蝉と思っていた、蝉にも種類があって声も異なるとは思いもつかなかったと。ただし彼の子供さんたちは只今昆虫フェーズで虫には詳しいそうだ。私の子供たちもある時期昆虫博士だった頃があったのを思い出す。死滅回遊魚という、黒潮に流されてこの辺りの海岸近くで見つかる暖かい海の魚に熱を上げていた頃もあった。
 ものを詳しく観る、区別するということは何だか楽しい。子供はそうしたことが好きである。だんだん他のことが忙しくなって忘れていくようだが。父、星眠はそれこそ草木、花、虫、鳥、何でも興味を持って詳しく見ていた。俳句に詠んでやろうという訳でもなく、本当に面白いと感じてのことだったろう。それがいつの間にか俳句の肥やしにもなる。楽しいことをたくさん増やしたいものだ。
 不意に平成三十一年一月号に書いたAI俳句の話を思い出した。星眠先生が、いや我々でも、句を詠むときの頭の中には俳句の言葉以外のもっと膨大なソースが詰まっている。経験としての全体や、言葉になっていない感覚なども含まれるだろう。それらの基の上に言葉の組み合わせが出来上がる。AIもさらに沢山、多様なデータを取り込む必要があるのかも。そして何よりも、自分が俳句を作ることが楽しいという私たちの気持ち、これが核心。星眠曰く俳句は楽しく。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選後鑑賞令和4年「橡」9月号より

2022-08-29 09:21:52 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞    亜紀子

命日の父に供ふる鮎膾      岡田まり子

 御仏前に何かを供えたという俳句は実はたくさんある。お供えは庭の花や初生りの畑の物だったり、新茶や珍しい果物だったりと、いずれも懐かしい人への思いやりが感じられる。掲句の作者は琵琶湖東岸に住む人。鮎膾は故人の好物であったろう。一献を楽しむ姿も思い浮かぶ。命日のという詠い出しに始まる一句の調べが不思議にしっくりと落ち着いていて、水の涼を感じさせる鮎膾と男親の取り合わせに良き風わたる夏座敷も想像される。パターン化された句の中にあってパターンの弊を免れている。

海へ向く声よき念仏大南風    和田美智代

 これは恐らく昨年令和三年七月に起きた熱海伊豆山の土石流災害に関する句と思われる。地元での法要の様子だろうか。報道などを見る限り現地の状況の解決と被災者の真の回復、前進は未だしの感。声よき、大南風に力強さとどこか明るさを感じるのはそうあって欲しいという一心の願いと理解した。

鐘の音を待ちて夕虹消えそむる  松尾守

 薄れていく夕虹の趣。たまたま聞こえてきた鐘の音ではあるが、これもまた暮れ行く一日の趣。儚き夕影の中に佇み思う作者の趣。

永らへてデイサービスや星祭り  伊田トキ子

 長生してデイサービスに通う日々。馴染みの仲間とのお喋りも楽しく。折々の行事も刺激になり、何より俳句の材料になる。いつも伸びやかで拘りのない作者の句にこちらも励まされる。

噴水の折れて夜風の静寂かな   高田くにゑ

 夜の噴水、そういえばあまり見た覚えがない。夜風にちょっと流されたと見るや一旦は止む。次の水が噴き上がるまでの静寂。このほんの一刻に作者は何を物思うのだろうか。

日傘買ひ地下の迷路を抜けられず 北村玲子

 地下街には私も苦労する。一度入ってしまうと、なかなか目的の地上に出ることができない。作者もせっかく新調した日傘を開くまでに苦労されたようだ。

桐下駄の素足に馴染む軽さかな  鈴木龍子

 箪笥に琴、桐は昔から良質な木材。湿気の吸収、排出力が高く、湿度を一定に保つ。繊維構造が他の木材とは異なるそうである。ゆえに狂いが生じにくく、さらっとした感触。しかも国内で取れる木材の中では最も軽いそうだ。まさに掲句そのもの。素足の心地良さが格別な季節。

季知らずまどろむ母や合歓の花  仲上順子

 いつも子守歌で眠らせてくれた母上が夢の間を行ったり来たり、日がな微睡みがちに。今は娘の自分が見守る側に。母上にも作者にも静かに満ち足りた時が流れているように感じられるのは、ねんねのねむの木子守歌、優しい合歓の花の効果だろう。

ほととぎす森に十戸の荘灯り   細辻幸子

 ほんの十戸ばかりの山荘の他には何もない森の夜。闇を過っていったほととぎすの声の後、静けさそのものがある。窓の灯がぽつぽつと見える絵のような黒い森のシルエットを少し引いたところから眺める趣。


北斗星大き夏嶺に横たはる    宮崎清之

 夜毎ウオーキングをしているが、街空には星がない。そもその空が小さい。掲句、黒々と聳える夏嶺も星座も、そして空全体が大きい。下五の横たはるの語の効果大。芭蕉の天の川を思い出した。
    

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和4年「橡」9月号より

2022-08-29 09:19:14 | 星眠 季節の俳句
みんみんや川曲りては簗を置く   星眠
                 (樹の雫より)

 昭和五十八年晩夏の那珂川。岸辺の緑いまだ濃く、川の蛇行に合わせて上から下へいくつもの簗。同じ旅吟に
蜂の巣の壺大いなり益子村
              (亜紀子・脚注)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする