橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞令和4年「橡」9月号より

2022-08-29 09:21:52 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞    亜紀子

命日の父に供ふる鮎膾      岡田まり子

 御仏前に何かを供えたという俳句は実はたくさんある。お供えは庭の花や初生りの畑の物だったり、新茶や珍しい果物だったりと、いずれも懐かしい人への思いやりが感じられる。掲句の作者は琵琶湖東岸に住む人。鮎膾は故人の好物であったろう。一献を楽しむ姿も思い浮かぶ。命日のという詠い出しに始まる一句の調べが不思議にしっくりと落ち着いていて、水の涼を感じさせる鮎膾と男親の取り合わせに良き風わたる夏座敷も想像される。パターン化された句の中にあってパターンの弊を免れている。

海へ向く声よき念仏大南風    和田美智代

 これは恐らく昨年令和三年七月に起きた熱海伊豆山の土石流災害に関する句と思われる。地元での法要の様子だろうか。報道などを見る限り現地の状況の解決と被災者の真の回復、前進は未だしの感。声よき、大南風に力強さとどこか明るさを感じるのはそうあって欲しいという一心の願いと理解した。

鐘の音を待ちて夕虹消えそむる  松尾守

 薄れていく夕虹の趣。たまたま聞こえてきた鐘の音ではあるが、これもまた暮れ行く一日の趣。儚き夕影の中に佇み思う作者の趣。

永らへてデイサービスや星祭り  伊田トキ子

 長生してデイサービスに通う日々。馴染みの仲間とのお喋りも楽しく。折々の行事も刺激になり、何より俳句の材料になる。いつも伸びやかで拘りのない作者の句にこちらも励まされる。

噴水の折れて夜風の静寂かな   高田くにゑ

 夜の噴水、そういえばあまり見た覚えがない。夜風にちょっと流されたと見るや一旦は止む。次の水が噴き上がるまでの静寂。このほんの一刻に作者は何を物思うのだろうか。

日傘買ひ地下の迷路を抜けられず 北村玲子

 地下街には私も苦労する。一度入ってしまうと、なかなか目的の地上に出ることができない。作者もせっかく新調した日傘を開くまでに苦労されたようだ。

桐下駄の素足に馴染む軽さかな  鈴木龍子

 箪笥に琴、桐は昔から良質な木材。湿気の吸収、排出力が高く、湿度を一定に保つ。繊維構造が他の木材とは異なるそうである。ゆえに狂いが生じにくく、さらっとした感触。しかも国内で取れる木材の中では最も軽いそうだ。まさに掲句そのもの。素足の心地良さが格別な季節。

季知らずまどろむ母や合歓の花  仲上順子

 いつも子守歌で眠らせてくれた母上が夢の間を行ったり来たり、日がな微睡みがちに。今は娘の自分が見守る側に。母上にも作者にも静かに満ち足りた時が流れているように感じられるのは、ねんねのねむの木子守歌、優しい合歓の花の効果だろう。

ほととぎす森に十戸の荘灯り   細辻幸子

 ほんの十戸ばかりの山荘の他には何もない森の夜。闇を過っていったほととぎすの声の後、静けさそのものがある。窓の灯がぽつぽつと見える絵のような黒い森のシルエットを少し引いたところから眺める趣。


北斗星大き夏嶺に横たはる    宮崎清之

 夜毎ウオーキングをしているが、街空には星がない。そもその空が小さい。掲句、黒々と聳える夏嶺も星座も、そして空全体が大きい。下五の横たはるの語の効果大。芭蕉の天の川を思い出した。
    
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 令和4年「橡」9月号より | トップ | 「朝顔」令和4年「橡」9月... »

俳句とエッセイ」カテゴリの最新記事