橡の木の下で

俳句と共に

「作り滝」令和3年『橡』8月号より

2021-07-29 06:54:52 | 俳句とエッセイ
  作り滝   亜紀子

隣人も屋上にをり大夕焼け
子ら失せて夏至の夕日がいつまでも
鴉の子ビルからビルを遊び場に
浜木綿にしのぶ波音風の音
寝そびれし無聊をかこつ青葉木菟
野の鳥の声の図鑑に梅雨ごもり
禁漁の池に青鷺考へる
天辺の鷺の巣風に右左
つばくらめ天守逆さに宙返り
メルヘンとなるかうぐひす牛蛙
江戸屋敷偲ぶてふ滝高きより
滝壺に龍になるとふ石一個
青梅雨や園の木椅子にけふもまた
閉門とともに止まりぬ作り滝
鱚舟の礁と紛ふ浮き沈み

「夕焼け」令和3年『橡』8月号より

2021-07-29 06:51:57 | 俳句とエッセイ
 夕焼け    亜紀子

 越してきてかれこれ三ヶ月。色々に慣れ気持ちも落ち着いてくると置いてきたものが時々懐かしくなる。一番は土。下町の小さな借家の小さな土の庭が自分にとっていかに貴重であったことか。世はコロナ渦中、それでなくとも呑気に出歩くことは難しい。これまでであればふとした折に庭先に出て息を吸うこともできたが、今はその場所もない。階下へ降りて建物の外へ出ればすぐ車の往来の激しい通りだ。
 回覧板は順次回ってくるが、持ってきてくれた人の顔も定かではない。たまに出会えば挨拶はするものの、集合住宅の住人同士は却ってお互いの距離が遠い。かつてはほどほどの距離のお付き合いがあった。軒を接するように暮らしてはいても詮索はせず、困り事があれば相談したり、されたり。ことに子供が小さかった時は当時健在だったお爺ちゃん、お婆ちゃん達に家の子、余所の子に限らず可愛がってもらった。
 などと懐かしがってばかりいては前に進めない。せっかく越してきたのだから、今を楽しくしていかなければ。土がないなら水耕栽培。台所の小さな器でミントやローズマリーを育てる。スーパーの野菜売り場で買った残り物が簡単に根を張った。しかしもう少し大きく育てたい。鉢物はすでに家人が育ててきたもの以外は増やさない約束。苦肉の策として花屋で仕入れたミントとバジルの苗を今ある鉢物の脇に内緒で植えさせてもらうことにした。見事根付き、次第に成長。簡単にバレてしまったものの、混生は生き物の自然だとかなんとか言って文句を言わさず。食材でもあるから結構楽しんでいる。
 車や人通りで水平方向は窮屈だが、垂直方向があるではないか。これまでは周囲の軒に阻まれて空が見えなかったが、ここには屋上がある。二十年ほど昔、この屋上から市の郊外の川辺の花火の見物をした。義父母は若く、子らは幼く、西瓜やジュースを手に眺めた日が夢のようではある。その後周囲に高層ビルが増えて花火は見られなくなってしまった。かつては姿を見せていた木曽御岳や遠くは日本アルプスも当然姿を消した。しかし頭上はまだ開いている。
 五月初旬、みずがめ座流星群のピーク時の未明にここぞと屋上に出てみた。流星どころか、星そのものが見えない。自分の老眼のせいもあるだろうが、街が明るすぎるようだ。故郷の父の最後の入院の折、夜行バスで尋ねたときの満天の星空を思う。仕方なく屋上を一周りすると牛蛙の太い声が下の方から響いてきた。隣接する庭園の池のようだ。昼間は蛙の声を聞いたことはない。これは新発見。
 星といえば「星眠」という父の俳号について子供の頃に尋ねたことがあった。寝坊助だから水原先生がつけてくださったと聞いた記憶がある。眠々亭という扁額が床の間にあったから本当かもしれない。   

   星眠
春星やしみじみ暗き蜑の露路
星合を明日に貧しき沼の星 
夜鷹鳴き硫気にゆらぐ星ひとつ 
露けさに星降りあそぶ尾瀬ヶ原 
雄鯨の愛の泪や星あかり 
落葉終ふ星も籬に落ち懸り 

 こうした星の句を読むと、父は星、星空が好きであったのだと分かる。

 屋上の星の観察を諦めてから暫くして梅雨の晴れ間、夕方の台所の窓がピンク色に染まった。大夕焼け。すわ屋上へ。西空のみでなく東の方角も、ぐるりあらゆる方向が茜色だ。見とれていると、誰かがスマホを空に向けている。先ほど屋上への重い扉が開く音を聞いた気がしたが、やっぱり、ご同輩。一度見かけたことのある若い奥さんだ。綺麗ですねと声をかける。ええ、撮ってますと笑顔が夕焼けて。インスタか、フェイスブックに載せるのかも。今、どこかで他にも大勢がこの空を見上げているだろうと思うと嬉しくなった。 

選後鑑賞令和3年「橡」8月号より

2021-07-29 06:38:56 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞      亜紀子

黄金の干拓平野麦の秋   喜多栄子

 長崎県諫早湾。干拓の歴史は長く、穀倉地帯。風にそよぐ麦畑のいかにも広々とした景色が眼に浮かぶ。黄金のと打ち出された上の句の効果、中七の干拓平野の語感の効果だろうか。近年潮受け堤防の開閉を巡る問題で解決の見られぬ干拓事業だが、掲句はただ眼前の景の豊かさを語ってくれる。

水足りて青田浄土や佐久平   岩下悦子

 信州佐久地方は内陸性気候で降水量は年間を通じて少ない。ことに冬は晴天が続き、放射冷却で気温は低く、厳しい自然環境と言えるかもしれない。その佐久も十分な水が足りて無事に田植えが終わったようだ。浄土の語に我がふるさとに寄せる思いが籠もる。山並みを遠に、静謐な佐久平の六月。

子鴉の口答へかな鳴きしきる   小野田のぶ子

 営巣中でしばらく鳴りを潜めていた鴉が再び姦しくなる。子鴉が電線や木の上で餌をねだっては頓狂な声をあげている。思わずびっくりする可笑しな鳴き声。体は十分に大きく見えるのだが、まだまだ子供。私はおねだりの声と聞いていたが、なるほど掲句のように中には口答えをしている子がいそうだ。

ぺたぺたと古き田植機操る老爺   青山政弘

 人の手が全てであった古より、工夫を重ねて農機具は改良されてきた。近年の田植機の変遷は大きいようだ。掲句の田植機は旧式、アナログの部分が大きく、どこの田んぼを見回しても今は昔のその機械を使っているところはないようだ。ペタペタとは、苗を植える爪の動きだろう。ゆっくりとレトロなリズムで響く音。機械は古くても老爺の技と感は確か。真っ直ぐに隅々まで美しく植田が整えられていくようだ。

森青蛙孵り菩薩の髭うごく   渡辺一絵

 境内の池で森青蛙が繁殖。ここはどこだろうか、自然豊かな静かな地を想像する。蛙が池畔の枝に産みつけられた泡のなかで孵化、ぽちゃんと水に落ちた音に思わず菩薩様の髭が動いたというのが面白い。お釈迦様ならピクリともしないかも。御髭から池の鯰が連想されてなお楽しくなった。

真直ぐとはまこと難し田を植うる   金子やよひ

 作者自身が田植えを経験したようだ。難しいと言うのだからベテランの農家ではない。青き植田にしとしとと雨の降り注ぎ白鷺が降りている景を見ると、日本は美しいなあと旅行会社のポスターにでも有りそうな言葉が浮かぶ。しかしその稲苗を真っ直ぐに植えて行くのがいかに難しいかと言うことを改めて知らされた。
体験者のみが言える。

開け放つ家畜舎さはに青田風   岡田まり子

 作者は近江の人。近江と聞けば牛だろうか。開け放たれた牛舎に広々と広がる田の風が通う。我が頰を風が撫でていけば思わず牛の心持ちにもなって清々しい。

桐の花雲たれこめて匂ひくる   岩下和子

 雲たれこめての措辞に大木が想像される。今満開の桐の大樹の風格が伝わる。

亡き姉の家閉ぢに来る梅雨最中   倉橋章子

 梅雨最中の家仕舞い。姉上の家と思えば胸中はいかに。湿った畳、小暗い部屋の影などが想像される。かつての楽しかった思い出がなおさら切ない。





令和3年「橡」8月号より

2021-07-29 06:31:04 | 星眠 季節の俳句
徳利椰子笑へばことに日焼顔  星眠
           (青葉木菟より)

 島人の目がくりっと輝き、白い歯がこぼれるとき一層日焼け顔が明らか。
屈託のない人柄。椰子の風が快い。
                           (亜紀子・脚注)