橡の木の下で

俳句と共に

「ペルシヤの壺」平成28年『橡』9月号より

2016-08-27 15:56:23 | 俳句とエッセイ

 ペルシヤの壺      亜紀子

 

鵜の一羽ペルシヤの壺となるゆふべ

青鷺夫妻大いなる子の世話をやき

着水のルアー舞ひたつ蝶とんぼ

鴉の子たまさかこけつ屋根伝ひ

長梅雨の子鴉いまだ親頼み

軒すずめ梅雨二番子に手篤かり

入口のあるとも見えず雀の巣

ラジオ体操蝉の合図につどひ来る

隣り家もラジオに明くる朝曇

大暑けふ気候変動疑ひ得ず

天候不順何の栄ゆる飛蝗族

乙女らの日焼対策すは海へ

白々と朴裏がへり雷迫る

雨漏の雷よりも恐しき

 


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「伸びしろ」平成28年『橡』9月号より

2016-08-27 15:54:18 | 俳句とエッセイ

 伸びしろ      亜紀子

 

 熊蝉の大合唱で一日が始まった。耳が焼けそうな音声。昨日まで何となく遠慮がちであったが、一転、今朝の声は勢いがある。ついに梅雨が明けたのでは。果たして雲一つない空に広がる光の加減、これは間違いない。洗濯ものを干しながら、お隣のベランダで布団を干している奥さんを見上げてお喋り。天気予報ではまだ梅雨明け宣言は出されておらず、週末あたりまた降るらしいですよとのこと。そう言いながらも午前中に気象庁から宣言が出されて、いよいよ東海地方は夏本番となった。

 宅配便を出したり、郵便物をポストに入れたりとちょこちょこ外出の用事があったので、あまり暑くならぬうちにと一日の買い物もついでに済ませることにする。歩き始めると既に十分に暑い。七月の連休最終日、蝉の声ばかりで古い町内は閑散としている。凌霄葛、オクラの花、他人の庭を覗いて行く。撒水目当ての足長蜂が目の前をよぎる。ああ、夏だ。しばらくぶりの友人に出会った感じ。

 縦横おおよそ二キロ四方の範囲をそちらこちらと寄り道しながら歩くと、途中でいくつかの中学や高校の前を通る。運動部のユニフォーム姿の集団が体育館の周りに集まっている。夏の大会の予選らしい。公立学校の体育館には冷房設備がないので蒸し暑い。床がキュッ、キュッと鳴る音が響いてくる。バスケットか、ハンドボールか。走り回る選手が急停止して方向転換する靴音。我が子の試合の応援に通った頃が不意に蘇る。女の子の時にはママさん達でローテションを組み、休日の練習日には順番に差し入れを持って参加した。男の子の段になるとほったらかしになったけれど、泊りがけの大会の折には洗濯係で参加したのは良い思い出。私の子供時代は親がクラブ活動の支援することなどなかったが、何でこの御時勢はと思いながらも、今となっては本当に懐かしい。自分も若かった。

 今月の初めに舅の納骨が済み、いろいろが落ち着いた。納骨式の日、世話をしてくれたお寺の御庫裏さんは私とほぼ同世代らしかった。よそから嫁いできた人で、寺の昔のことは聞きづてだけれど嘗ては狐狸の棲む野中だったと笑っていた。現在はすぐ近くに大きな大学を擁し、市内でも有数の住宅街になっている。明るい御庫裏さんは他愛ない話をしていても落ち着いた人柄がにじみ、この人が私と同じ年頃とは思えなかった。

 精進落しの昼食を取った料亭はその名は聞いていた格式高き老舗。手入れされた苔庭に若楓も清々しく、昭和天皇が泊まられたという部屋を見はるかす。そういえば、今春社会人になった娘の幼稚園の同級生にここの子供さんがいるとかいないとか聞いたような。と、部屋に挨拶に来た女将こそ、幼稚園にときどき和服でお迎えに来ていたあのママさん。あちらは私に覚えはなかったが、尋ねてみれば確かにその人。少しばかり昔話。送り迎えに、お弁当、行事のたびのPTA活動、老舗のお嫁さんとしてフルで仕事をしながらの怒濤の日々であったわけだ。華奢な体に涼しげに着物を着こなしていらしたと言えば、夏はやはり暑いですと微笑む。女将の面影は昔と変わらぬが、現在は敷地の半分が高層マンションに変わり、二棟ある藁葺きの屋根の葺き替えには遠くから職人を呼ばなければならず、少なからず変革の波も被っているらしい。「思いがけず良いご縁をいただきました」と送り出してくれたこの人もまた同世代とは思えぬ落ち着きがあった。

 どのように生きてきたかで顔が作られるようだ。しかしどのように生きたにせよ、通り過ぎていった時間には「間違い」はない筈だ。それが上手くいったか、いかなかったかの違いはあるけれど。その時できる限りのことをしていたのは誰も同じだろう。必要なのは反省も含めて、今とこれからに違いない。思いめぐらせつつ、二人の同齢の女性と我が身を引き比べてがっかりしていると、「お母さん、悪足掻き。俺なんか今は伸びしろしかないのよ。」と浪人中の息子。成る程。叱咤のような慰めのような。


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選後鑑賞平成28年「橡」9月号より

2016-08-27 15:52:11 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞  亜紀子

 

雨蛙けふは騒がしひばりの忌  西岡礼子

 

 昔、芸大の声楽家の先生をPTAの集いか何かに招いた折、お母さんの一人が「どうしたら我が子を芸大に入れることができるでしょうか。」という質問をした。即座に「才能ですね。」という答えが返ってきた。一瞬肩すかしを食らったような気がしたが、何か深く納得したような気もした。努力や工夫が無駄という意味ではなかったろうが、音楽の才というのは確かに生まれ持った力がかなりの比重を占めているのだろう。太古の祭礼や儀式で音楽を司った者なども特別の耳の持ち主だったに違いない。そう思って辺りを見回すと、例えば夏の高校野球の開会式の独唱をする学生さんなども、何万人に一人の特別な人なんだろうなという気がする。

 しきりに鳴く雨蛙の声に美空ひばりを連想する作者は歌うことが好きで、彼女の相当のファンであろうか。忌日は梅雨の最中、平成元年六月二十四日。昭和の天才。

 

風鈴や父母の忌に寄り大家族  岡田まり子

 

 父母を送り既に久しい。その何回忌かの特別の法要、遠くからも家族が集合する。集まってみれば一門の人数がだいぶ増えている。今更に時の流れに感じ入る。明るく賑やかな集いとなった今、その内にあってふと風鈴の音を聞きとめた作者である。

 

父の日の父は意外な好々爺   片岡嘉幸

 

 我が道をひたすら進んで来た父親。頑固一徹、老いてなお変わらざる、と思いきや、意外に丸くなっていた。父の日の祝の席であるから気が付いたということだろう。意外というからには、相当の強者のお父上であることが想像されるが、飄逸な一句に暖かみがある。

 

農学生声かけながら牛冷す   岩壽子

 

 生き物、自然を相手に学ぶ農学徒。牛を冷やす作業中も自ずから優しい声をかけるのだろう。その純朴な姿に心動かされる。鎌倉から札幌へ引っ越した作者、北の地にもだいぶ馴染まれた頃だろうか。

 

青梅雨や水底翳る河童淵    高橋和子

 

 鬱蒼とした木々の緑。梅雨最中の雨雫。淵といっても水底に目が届きそうな、そう深くはない所。流れる水も澄んでいる。遠野の河童淵であろうか。翳るの語に、緑を映す水の怪しげな、複雑な色合いが伺われて美しい。河童は全国各地に伝承されているので、その地域で河童淵と呼ばれている所もあるかもしれない。いずれの河童淵であっても通じる一句。

 

忽と出る川鵜の貌や夕明り   伊藤昭代

 

 涼やかな風立つ夏の川べり、夕暮れの逍遥。ひと日の終り、残りの光がちらちらと揺れる川面を眺めるともなく眺めていると、卒然と鵜の黒い首が現れ。すーと平らに水面を滑っていった。夕明りの結びが気分、情緒を掬い取って余韻が残る。

 

鱧切りや問へば一言十五年   室谷聖子

 

 俳人は好奇心が旺盛でどんなものにも興味を示し、誰にでも何でも質問する。ことに吟行では後の句会が控えているので材料収集は欠かせない。掲句は吟行最中というわけではないかもしれない。外での食事。目の前の板前さんの見事な庖丁さばき。年季が入っていますね、鱧切りはどのくらいやってらっしゃるのですかと思わず尋ねれば、愛想もなくただ十五年と一言。いかにも職人気質。それをしっかり一句に詠み上げるところ、いかにも俳人気質。


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平成28年『橡』9月号より

2016-08-27 15:48:34 | 星眠 季節の俳句

受難の圖晩夏の花はかをりなき

           (火山灰の道より)

 

 軽井沢聖ポーロ教会。壁に並ぶキリストの生涯の絵。晩夏の花は向日葵、赤いサルビアか。

                                 (脚注・亜紀子)

 


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草稿08/27

2016-08-27 12:18:35 | 一日一句

虫除けの案外効いて草を引く  亜紀子


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