橡の木の下で

俳句と共に

「春夕焼け」平成27年「橡」5月号より

2015-04-26 05:56:14 | 俳句とエッセイ

春夕焼け  亜紀子

 

騙し絵展出でてまた降る春の雨

蒿雀つと発ちたる畑に蕗のたう

高楼の玻璃を上昇春烏

地に降りて鵯の啄むクロッカス

日の暮れて風つのりける雛流し

春夕焼け街の片頬染めにけり

薄雪にかしぐ水仙よごれなき

こぼれてはまた鞘当てに恋雀

住み古りて大株に咲く雪柳

咲きいづる花みな小さし四旬節

春愁のをとめ萌えたる花を見ず

渋滞の春の夕日へ帰りゆく

食ひ物のぞろり値上がる四月馬鹿

 


就活狂想曲 平成27年「橡」5月号より

2015-04-26 05:50:31 | 俳句とエッセイ

就活狂想曲     亜紀子

 

 やると決めたら徹底してやる式の、傍から見ているといささか笑えるような、気の毒のような、はたまた我が子ながら一目置きたいような次女が就職戦線に居る。それまで体育会系の部活に傾注してきたエネルギーを就職活動に振り向け、卒論の下地を整えてからのフルパワーのスイッチ転換らしい。就活としての表立った活動ではないが、既に開戦以前から企業と学生の接触は始まっており、娘は「自分はだいぶ遅れを取っている」とばかりにのっけから前のめりである。取り敢えずありとあらゆる分野に挑戦とのこと。食品、住宅、機械、農業、運輸その他あれやこれや、大手も中小も、手帳を一杯にして、春休み一杯を飛び回っている。その中で自分の入りたい場所は決まっているらしいのだが、全ては相手のあることゆえ思い通りには行かぬ。第二、第三の打つ手が必須ということらしい。

 就活トラベルの間にはとんでもない失敗も起こる。関西方面へ出かけた折り、企業提供のJR往復切符を持っていながら復路の最終電車を逃してしまい、米原までしか帰れそうにない。その先は歩くしかないなあと言われたそうだが、笑えない。翌朝は学校のレポート提出の締め切り日だという。幸い夜行バス一便があって、終り良ければ、で収拾がついた。関東方面へ出かけた早朝、リクルートバッグに入れてあった水筒が洩れて、行き先へ着く前にバッグがぐしょぐしょに。一箇所にバッグを置いておくと、そこに幽霊でも立っていたかのように濡れてしまうので時々場所を移して床を乾かすのに苦労したそうだ。ESと略すエントリーシート(申し込み書類)は無事だったそうで何とかなって、しかも非常に楽しい実り多い企業説明会だったそうである。

 多くの場所に通い、多くの人と会い、多くを見るうちに、わずかな期間で娘自身の自己認識も変化したようである。ばりばり前進したい娘が最初に惹かれたのは、ちょいブラックな所。私が聞く限りでは人の褌で相撲を取るタイプの場所に思えるのだが、娘にとっては小さくとも歯車にならずに手応えの持てる職場だとのことで、そこで相談相手をしてくれる人には心底感謝していた。そのうちに少々勝手が違ってきたようで、小さなところでも小さいなりに、その中で自分は歯車というか、駒の一つになっているようだと言い始めた。今現在はどちらを向くときにも多少の距離を置くコツ、自他ともに客観視する余裕が出てきたようである。とは言うものの、どこへ行っても戻ってくると娘の口から出てくるのは企業寄り発言が強い。疑う、批判するということを知らない。企業提供のおみやげ、自社製品や記念の文具など吟味している様子はキャラメルのおまけを喜んでいるようにも見える。よほど信じ易い性質のようであるが、母親の私の言は批判するのだから、完全なるばか正直というわけではなさそうだ。

 立ち返って見れば、私こそものを知らない。親というものは、若い子供に比べたら狭い範囲で一つ事を続けてきただけである。見ているものも、ものの見方も非常に偏りがある。ことに専門はと尋ねられたら子育てと言うくらいしかない自分である。私の昔の小さな価値観を娘に押し付けることはできない。そう娘に言うと、その通りだよお母さんとクールな返事が返ってきた。

 本人は大変だろうが、私の現在は就活みやげ話が面白い。業界の話のみならず、そこで出会ったお仲間との話、就活ライフには楽しい部分もあるようだ。居ながらにして知らない世界を覗かせてもらっている。またそうした娘が折々に俳句の材料にもなる。さらに彼女から貰った知識を蓄えておけばいつか知らぬうちに使うこともできるだろう。何より他人の句への共感の幅が増すものとひそかに自分自身にも期待をしている。と、呑気な私のメールボックスに「帰宅は二三時過ぎるかも、次のES書いてます。電源切れるから連絡できなくなるよ」と送信されてきた。

  


選後鑑賞平成27年『橡』5月号より

2015-04-26 05:47:23 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞 亜紀子

 

それぞれの雛なつかしむ三姉妹  宇井真沙子

 

 久しぶりに揃った三姉妹がかつての雛飾りを前にして懐かしむ様子とも取れるが、次のように解釈した。

 座敷の真中、目の前に華やかな雛壇が飾られている。一番若い世代の子供の雛さまである。いくらか現代風のお顔、洒落た調度のあれやこれや。母親は三姉妹で、自分たちのそれぞれのお雛様を思い出して話に花が咲く。姉さんのはこれこれ、私のは確か云々、桃の節句にまつわる年々の小さな記憶も浮び上がる。

 この姉妹をもう一世代前に移せば、人形のかんばせはいささか朧になるかもしれないが、懐かしむ人の心に変わりはないだろう。女のきょうだいと雛祭りの記憶が途切れることなく連なっていく。

 

定年の厨にも慣れ水温む     福元和雄

 

 男子厨房に入る会のような積極的な厨ごとと、状況からそうならざるを得ない厨入りとの中間くらいの感じだろうか。水温む頃、文字通り水仕の蛇口の水も冷たくはない。職を退いた直後の感慨は次第に薄まり、今の生活に馴染み、満足と張りを覚え、新しい活動に悠々と意欲を持ってのぞむ様子が伺える。

 

陽炎の野にリハビリの車こぐ   石橋政雄

 

 足こぎのリハビリ用の車椅子だろうか。作者は陽炎立つ野の先を見据えて漕いでいく。あるいは、陽炎の中を一生懸命に進むリハビリ仲間の後ろ姿を見つめているということかもしれない。陽春の候、心の揺れが全くないわけではないが、明るく前向きに、希望が約されている。

 

佐保姫を先立て大路駆け抜くる  布施朋子

 

 女子マラソンの女神は佐保姫。ユニフォーム、衣装の色も華やかな女性ランナーの大群が駆け抜けていくと、街並は一斉に春色に塗り替えられていく。大路の木々も芽吹き初める。

 

春を待つ膝の子と読むぐりとぐら 菅原ちはや

 

 暖かな春の日ざしを待ちながら、おばあちゃまの膝で絵本に興じる幼子。ぐりとぐらは中川李枝子、山脇百合子姉妹による絵本シリーズ。双子の野ねずみが主人公。森で見つけた大きな卵で大きなカステラを焼いて、動物の仲間たちと分け合うお話は私も幼稚園で何度も読んだ覚えがある。長年子供たちに愛されているようだ。

 

花辛夷浅間全容かがよへり    深谷征子

 

 森に辛夷の花の咲く頃、浅間山はその大きくなだらかな体躯にいまだ雪を被ている。芽吹き前の枯れ色の森に点々と白い辛夷の花を見て、真白の山肌も濃くなってきた日ざしに輝きを増すのだ。

 

星おぼろ銀の小籠に師は乗りて  綾部文子

 

 その俳号に星を負う父に、子供の頃どうして星が眠るのと尋ねると、自分はとても寝坊助でよく眠るからだと答えが返ってきた記憶があるが、遠い話で定かではない。

 

春星の銀の小籠を見つけたる 星眠(昭四七)

 

星の小籠はプレアデス星団、即ちすばる。潤むような星の小籠に穏やかに眠っている、あるいはにこにこと笑顔で揺られていると想像すると、別れというものに妙に納得がいく。

 

小春日や庭の散歩を楽しみに   鈴木やよひ

 

 掲句を誦していると、小春日というそのものが示されているように思えてくる。喜びというそのものが表されているように思えてくる。