橡の木の下で

俳句と共に

「ゆく年」平成27年「橡」2月号より

2015-01-28 15:25:31 | 俳句とエッセイ

 ゆく年  亜紀子

 

落葉降りしきる歳末ジャンボくじ

将軍塚めぐる小径の霜ゆるぶ

外套に講の半袈裟しまひけり

睨めらるる寒さひとしほ青不動

霜晴れやはつか雲おく京五山

冬木の芽つばらに響く護摩太鼓

葛焼きの熱きが甘き新小豆

手も足も五体総身着ぶくるる

つとひらく心氷雨に目白きて

冬将軍小庭荒して征きにけり

うすうすと世を隔つかに薄氷

ひとり居て日がな古屋の隙間風

何を為すともなく暮れし柚湯かな

大年やふるさと遠く暮れにけり

ゆく年や時雨にぬれし月の道


「実地に」平成27年「橡」2月号より

2015-01-28 15:21:54 | 俳句とエッセイ

  実地に       亜紀子

 

 「何より先ず、精神そのものを実際に示すにしくはなし。クリスチャンの教会においてはー神の心そのものを説きなさい。そして是非どうしても必要なときに、言葉で説明しなさい。ーという格言がある。」

 

 これは私が参加させてもらっているボランティアグループの普及・進展に関しての言である。この言葉をくれたのは医療、教育、職場、あるいは様々の問題を抱えた人々の支援組織の現場に浸透し始めている、動機づけ面接と呼ばれる面接技法の創始者である。彼は宣教師でもあるが、私には信心はないのでクリスチャンの教義の伝播の話ではない。グループの活動や面接技法についても俳句には直接拘わらぬことゆえ割愛する。ここに言われているのは、ことの本質が言葉による説得ではなく、現実の行動を示すことで、自然のうちに、相手の自発的な理解によって伝わるということかと思う。

 

 俳句の世界に置き換え、俳句を語り、伝えようとするなら、

 

目のさめるような句をまつ浮いてこい   星眠

 

主宰のこの投げかけに応えることが第一義で、その先も後もないように思われる。ことが絵画や音楽であれば、現実に目の覚めるような作品が示されなければ伝えることができないのは尤もなことで分かり易い。俳句は俳句自体が言葉であるので些かややこしい。後から説明、解説を押っつけることができるからだ。俳句が言葉以外の何者でもないことは確かである。以前に主宰が「俳句は理屈でなく、情ですよ」と言ったという話を読んだ。理屈は日常的な言葉で語られ、俳句はそれとは少し異なる言葉で成り立つというように解している。少し異なる言葉とは「詩」であり、では詩とは何だと問われれば詩そのものを見せるのが一番早く確実な方法になるわけだ。

 正岡子規が『墨汁一滴』に次のように書いている。

「先日短歌会にて、最も善き歌は誰にも解せらるべき平易なる者なりと、ある人は主張せしに、歌は善き歌になるに従ひいよいよこれを解する人少き者なりと、他の人これに反対し遂に一場の議論となりたりと。愚かなる人々の議論かな。文学上の空論は又しても無用の事なるべし。何とて実地につきて論ぜざるぞ。先づ最も善きといふ実地の歌を挙げよ。その歌の選択恐らくは両者一致せざるべきなり。歌の選択既に異にして枝葉の論を為したりとて何の用にか立つべき。蛙は赤きものか青きものかを論ずる前に先づ蛙とはどんな動物をいふかを定むるが議論の順序なり。田の蛙も木の蛙も共に蛙の部に属すべきものならば赤き蛙も青き蛙も両方共にあるべし。我は解しやすきにも善き歌あり解し難きにも善き歌ありと思ふは如何に。」ここでも実地ということが要である。

 人にものを伝えるといえば即ち言葉が思い浮かび、どのように言葉を上手く使うかが問題とされる。しかし本当のところ、実地に依る、実物を示すということが詩に限らず何を伝えるにしてもコミュニケーションの根幹になっているようにも感じられる。言葉に頼らずとも、他人との間に何かしらの意識の交流に拘わるものがあれば、それは全てコミュニケーションになるのであるから。

 さてここまで私は結局言葉を弄していることに気付かされる。何かの折りに良寛の自戒「言葉の多き」について教えてくれた会員の方がある。主宰も俳句を語るときはいつも言葉少なである。余計な批評をしないのは馬酔木時代から変わらない。それよりも「浮いてこい」の句のような目のさめる作品を示す。目は覚まされるのだけれど、目を覚ますことのできる句を詠むことは難しい。到達し難い目標、終りのない道程である。


選後鑑賞平成27年『橡』2月号より

2015-01-28 15:18:23 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞  亜紀子

 

延縄を入るる目当ての紅葉山  平石勝嗣

 

 車をバックで車庫入れするのが苦手だ。自宅のカーポートには私なりの目当てが決めてあって、いつもの手順通りに動かせば失敗することはない。

 さて掲句は、長い幹縄に暖簾のように取り付けた枝縄の先の釣り針で魚を捕る延縄漁。漁船で縄を仕掛けに出る。比較的沿岸で行われる小規模の漁であろうか。陸地に見える紅葉の山と漁船の位置関係から仕掛け場所が決まっているようだ。空は澄み、甲板の上ゆく潮風が快い。海を知る人ならではの紅葉山の眺めである。

 

樺太鷲冬虹越えて去りにけり  折田幸弘

 

 樺太鷲はユーラシア大陸の中緯度域で繁殖し、冬季はインド、中国南部へ渡る。日本にはまれな冬鳥として渡来し、各地にその記録が残る。鹿児島県川内市の農耕地では一九九二年以来毎冬渡来しているという。地の利を得た作者であるが、珍しい鳥であることには変わりがない。双眼鏡を手にして探鳥吟行に出られたのであろう。折しも時雨の後の虹がかかり、その彼方へ消えていくのを見送った。樺太、冬虹、去りにけり、等々の言葉が静かに響き合う。

 

出払ひてやかんの滾る鮭番屋  太田順子

 

 もぬけの殻の番屋のストーブに、掛けっぱなしの薬缶の湯がチンチンと滾って湯気を噴いている。鮭が上がってきたのだろうか。番屋の薬缶一個に、鮭漁の様子、岸辺の冬枯の景色、男たちの声等々が想像されるのである。

 

尖りたる阿賀の川風懸け大根  松田松栄

 

 福島と群馬に源を発し、広大な越後平野を形成して日本海へ注ぐ阿賀野川。全長二一〇キロメートル、水量は最大級の大河である。対岸は遥か彼方の幅広の川面。日本海から吹きつける季節風に波も尖る。その風に曝されて並ぶ干し大根。新潟県は大根の生産量も最大級のようである。おそらくずらりと懸けられた大根だろう。厳しいながら越後の冬の景が絵になっている。

 

奥多摩や干菜のにほふ御師の道 西堀裕子

 

 東京都の西部、武蔵国多摩郡、現在の青梅市の御嶽山。山頂に古くから修験道の霊場として栄えた武蔵御嶽神社(むさしみたけ神社)が鎮座する。神社の仕事に携わり、講の参拝客の世話などをする御師の集落が連綿と維持されてをり、今も宿坊として観光客の世話もする。下界と隔絶された集落の道。干菜は自家用だろうか、あるいは坊の客に供されるのか。奥多摩の固有名詞が五七五の中によく所を得ている。

 

新ワイン銀坑窟に眠りゐし   吉田暢子

 

 新ワイン、ボジョレー・ヌーボー解禁に湧いたバブル時代。現在も十一月のその時期になれば話題を呼ぶが、かつてのような空騒ぎは収まったのではなかろうか。掲句のワインは銀山の坑道跡に寝かせておいたもの。洞窟内は湿度、温度が年間を通して一定のところから、醸造発酵の条件に適しているようだ。銀山窟から取り出されたワイン。どこか落ち着いた味わい。

 

水尾よりごろごろごろと柚の苞 大野藤香

 

 京都市右京区嵯峨水尾は柚子栽培発祥の地「柚子の里」である。水尾の柚子は香り高く、品質が良いそうだ。その高級柚子を土産として仰山、無造作にごろごろと手提げ袋から取り出して届けてくれた友人。きっと一日を水尾吟行で過ごして来た親しい俳句仲間ではなかったろうか。