なかなか釣りに行けない

なかなか実釣出来ず、稀の釣行を夢見て、机上の空論を重ねる備忘録です。

来週宮城の組み立て(20240321)

2024年03月21日 23時11分36秒 | 机上釣

来週宮城の組み立て(20240321)

来週半ばから宮城へ帰省する。
目的は親孝行としての農作業、そしてヒトに会って、そして釣り。
釣りの優先順位は今回一番低く、しかも実家で残業必至。
自由時間はあまりないのだけれど、それでも道具はかなり持ち込む。
もしかしたら釣りできるかもしれないので。

でももし出来るとして、何をどうしよう。
各河川の年券は購入済み、広瀬川から白石川だって入れてしまう。
でも3月末から4月頭、まだ水は冷たく渓魚の動きは今ひとつ。
唯一、荒雄川でどうかという程度。
去年3月中旬、雪の荒雄川で一日一匹な時間を過ごした。
あれより少しはマシ、なら親孝行する方が良い。
とはいえ釣らずにはおれず、大分の残業もある。

結局、五ヶ瀬と一緒で、釣りする時間は限られる。
なら、五ヶ瀬と同じで、「川を釣る」のに専念する以外なし。
では、どんな川を?
多分、荒雄川、江合川、鳴瀬川、北上川、広瀬川、名取川そして白石川。
宮城の河川全部といえば全部だけれど、そのうちのひとつだけでも良い。
「川を釣る」それだけをターゲットにしよう。
そこにいる魚が鈎を喰えば幸運なだけのこと。
今回はまず「川を釣る」それだけで十分だ。

追記)
この選択に「二者択一」の考えを当てはめる(20240321)。

案1)とくかくマスを釣る
案2)魅力的な河川を釣る

案1)の成功は大爆釣、失敗はスカか貧果、後悔は「もっと別の河川にすれば良かった」
案2)の成功は実釣体験のみ、失敗は河川が見掛け倒しだった場合、後悔は「優先度を見誤った」

案1)にもう後はないけれど、案2)にはその河川を避けて別の河川に入る未来がある。
もし成功したとして、案1)は大爆釣または大釣り、案2)は見込み通りの良い河川でしかもマスまで釣れた場合。
数的には案1)が圧倒的だけれど、今後の発展性は案2)がズバ抜けている。
どちらが明日へ繋がるか、考えるまでもなく、案2)が案1)に確実に勝る。
なぜなら、その経験が他の河川にも活きるから。

ウェットの釣りは仕事に似ている。
いきなり始めても上手くいくハズがない。
コツコツ重ねた小さな仕事が、大きな仕事に育っていく。
今回の釣りの目的は、そんな小さな体験の積み重ねであり、決してビキナーズラックではない。

大釣りや大爆釣は最高だ、でもそれが単発で終わるなら、その経験は白昼夢も同然。
いつも確実に同じ結果が約束され、はじめて釣果は事実に変わる。
もし釣りが夢なら、いつか醒めてしまう。
でも釣りが真実なら、それはずっと続く。

そう考えれば、今回の釣りで「貧果に終わった」としても「川を釣る」体験が得られる。
釣りとしては失敗でも、その河川経験は積み重ねられ、失敗の後悔が意味を持つ。
なので、「川を釣る」が今回の二者択一の選考結果、「マスを釣る」を棄却して。
でももちろんマスを釣るのが最大目標なのは双方共に同じ。
なので釣る準備は100%整え河川に入る。
何事も目指すのは成功であり、もし失敗を目指すなら、その失敗体験が成功体験という齟齬まで生まれる。
成功は成功、失敗は失敗。
釣れなければ失敗なのだが、同じ釣れないにしても、その後悔に差が生じる。
失敗しても明日に活かせる選択肢、それが今回の「川を釣る」。
決して「マスを釣る」ではない。

でももしこれが5月6月の最盛期なら、事情は全く違う。
なにせ「マスが釣れる」時期なのだから。
でもそんな時期の悩み事など、私は知らない。
宮城のマスと河川の経験が、あまりないので。
今は今できることに専念するしかない。

となれば今回は、釣りの時間など短くても良いし、なんなら釣れなくても良い。
納得の川釣り体験であれば、それで良いのだ。
でも準備だけは完璧に整える、未来への必要最小限の投資として。

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二者択一の場合(20240321)

2024年03月21日 20時43分52秒 | 日記

二者択一の場合(20240321)

20240305の続きと20240102の補足。

いくら迷っても、問題点を二つに絞り込めれば後は楽、という考え方。
「「意思決定の仕組み」がついに判明(ハーバード大学)」
https://nazology.net/archives/146497

そして、人の感情は四つしかない、という考え方。
具体的には「「GOOD(良い)」「BAD(悪い)」「LOVE(愛)」「WANT(欲しい)」が、感情表現の複雑なネットワークの中心ハブとして機能する」とのこと。
「人のあらゆる感情はたった4つの単語から派生している」
https://nazology.net/archives/144252

つまり、私自身の判断基準は「好・悪・愛・欲」の4原色で決まる。
でもヒトそれぞれに温度差があるように、「好・悪・愛・欲」の色調にも個人差がある。
私自身を例題にして、その温度差色調差は以下の心理テストで客観的に測ってみる。
「自己肯定感・他者肯定感診断」
https://commutest.com/affirmation/questions
その結果から私自身は序列第5位の「幸福型」となる。
トップは「閉鎖哲学型」2位が「自責型」3位が「人格者型」4位が「バランス型」で、私は人格者ではない。
ともあれ、ヒトそれぞれというのが分かる。

それを踏まえ、私自身の心の偏りについて考えてみる。
たぶん4つの感情のうち「愛」を優先し、楽観的な見通しを持っている。
とはいえ、「何もかも手に入った」という幸福な記憶はないのだけれど。
そんな色調・温度差のある私、さて、迷ったら何をどう選択するのだ?

20240305の続きだけれど、二者択一まで問題を絞り込んだその先のこと。

ア)アをイすると成功はウで失敗はエ
A)AをBすると成功はCで失敗はD

このア)とA)の比較で、成功ウと成功Cの報酬はあまり変わらない。
でもしくじった場合、その失敗Dと失敗エでは、たぶん大きく変わってくる。
二者択一の場合、成功の比較はあまり意味がない、なぜならどちらにも未来があるから。
でも失敗した場合、その選択肢で未来が大きく変わってくる。
下手すれば明日という未来を失う可能性すらある、肉体の死以外に社会生活的な死も含め。
明日という未来が残るなら成功結果にさほど差はない。
しかし明日をなくす失敗だけは絶対避けねばならない。
とすると二者択一の論点は、必ず「失敗の程度」であり、決して「成功の度合い」でない。
つまり失敗しても必ず再生できる選択肢を選ぶべきで、もし成功の度合いが低かったなら、それは明日また挑めば良い。

でも、そんな私自身の選択そのものが「幸福型」の特徴かもしれない。
失敗のうち一番怖いのが「愛」の喪失なのも、その選択肢を左右する。
もし二者択一で悩めば「失敗を克服できる選択肢」を私は選ぶ、たとえ成功度合いが低くても。
「もしアッチを選べば、モット美味い汁を吸えたのに」という後悔は、失敗時の「愛の破滅」よりものすごく軽く済む。
それは当り前で、一番重視する感情が「愛」なのだから、「愛」の損失が怖いだけのこと。

でももし私が「好」とか「欲」を重視するなら、後悔の判断基準も全く変り、つられて選択結果も別物になる。
しかしそれでもやはり、失敗時の後悔の程度が軽い方、つまり「傷の浅い方」を選ぶべきだし、皆様そうしていると信じている。

もし「成功の度合い」だけで物事を選び決着しようとするヒトに対して、その選択方法を厳しく諌めるつもり。
でもなぜ恨まれてもヒト様に物申すのか。
それは「言った場合の成功体験」より「言わない場合の後悔」の方が、はるかに恐ろしいから。
言い換えると、恨まれても敢えて「意見する」のは、わざと「意見しない」と後味の悪さがいつまでも残り私自身が苦しむからで、そこに選択の余地はない。
ヒトが不幸になるのを見たくない(アナタが幸せならワタシも幸せ)。
そんな単純な感情が「愛」の正体かもしれない。

まとめると、二者択一で私は「失敗しても後悔しない方を選ぶ」。
たとえ失敗しても後悔ないなら、その選択は最善最良。

追記)
逆に、他人から見て失敗続きの当事者が全く悔いない場合、大方そのロジックを使っている。
まあ、強いといえば強い、いわば「無敵のヒト」化する。
つまり「失敗を前提として選択・決定する」なら、ヒトは無類に強くなれるのかもしれない。
でも「失敗するための選択肢」は「失敗そのもの」が成功だから、真の目的の達成が成功、その未遂が失敗と再定義すれば意味の間違いは防げる。
正しくは「的確な予見に失敗しても、後悔しないプランを選ぶ」。
それはたぶん「次善の策」。
二者択一では、退路という明日ある策を選ぶべき。
目線が多少低くても、浮石に両足載せてはいけないのだ。

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