Nonsection Radical

撮影と本の空間

詮索はしない

2015年01月14日 | Weblog
他人のする事、しない事に詮索しないのは、それが本当かどうかわからない単なる想像でしかないからだ。
「もし~だとしたら」という仮定の話をすると、それが前提になって「ということは、こういうことじゃないですか!」と結果を生み、仮定の話だったのが、いつの間にかあたかも本当の事かのように錯覚して「それはひどい!」というヒートアップした思いになる事が自分にもネットなどの発言にもある。
そうなると、その仮定が間違っていたとしても受け入れられない精神になって、事実とは異なる事を、つまり自分がそうだと信じた事が本当の事になってしまう。
そんなことを散々繰り返してきたので、そんなのやめた、という気持ちになって、余計な詮索はしないようにしようと思ったのだ。
だから誰かが詮索の話をしても「単なる詮索でしょ」と思えるようになったのだけど、困る事もある。
たとえば、しなければならない事がハッキリわかっているのに、当事者がいつまでたってもしない場合、「どうしてしないんだろうなぁ?」とは思うんだけど、詮索はしないのでいつまでも「どうして?」としか思わない堂々巡りを繰り返してしまう。
しないだけの理由はあるんだろうとは思うけど、その理由を詮索しないので、「理由があるんだろうなぁ」とは思いつつ、「どうして?」という思いも消えないのだ。
これも結構疲れることなんです。




京町の街並み 1
兵庫県豊岡市京町,城南町
撮影 2014年8月2日 土曜日 13時35分
コメント
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