Nonsection Radical

撮影と本の空間

もうパニックは起こさないのか

2014年01月26日 | Weblog
引き続き「狼がやってきた日」柳田邦男著を読んでいる。
1970年代初頭の「オイルショック」による社会混乱の中で、トイレットペーパーや洗濯洗剤の不足騒ぎというのが起きたのだけど、本書ではその経緯を記している。
トイレットペーパーや洗濯洗剤という特定のモノがなくなる”かも”、”らしい”という「噂」が瞬く間に人々の口を伝わり、マスコミも輪をかけてその騒ぎを報道し、火に油を注ぐ騒ぎが国会の中でも繰り広げられた。
そのさなかには信用不安の「噂」で金融機関に取りつけ騒ぎまで起きたのだが、その元となった「情報源」というのは、ちょっとした発言や、憶測や、誤報であったのだけど、その後マスコミなどは自己検証などもされたようだが、他の人、つまり政治家や一般国民が”自己総括”したという話は聞かない。
トイレットペーパーや洗剤などの不足騒ぎは、結局はみんなが買い占めしたからモノがなくなったのであり、自己防衛の結果の自作自演と今になって言えるのだけど、当時の状況では無理もない話であるとも言える。
状況が急激に変化し、誰もが落ち着いて考えられる事態ではなくなった場合、身を守るためと思って起こす行動が更に事態に変化を及ぼしと、つまりパニックになったんだな当時。
信じるに足りると思った情報が、実は不確定な情報からもたらされたものであったり、詳しいシステムを知らない部外者が自分の”論理”でおかしいと言い出して騒ぎを大きくしたり、社会現象として騒がれたパニック現象をひも解いていくと、それぞれの理由と立場と言動が大きな騒ぎを作り出した事が見て取れる。
40年前の日本人はこんなのだったんだぁ、と思うのは簡単だが、では、今はそんな事はない、日本人は進化したのだと言い切れるのか。
少なくとも自らの事は省みず、「おかみ」つまり役人や議員、警察などはそうは思ってはいないようだ。
実際に福島原発事故ではパニックを恐れてと情報を秘匿した事は明らかである。
一方、不確かな情報が駆け巡り起こるネットでの「炎上」などは、国民の情報リテラシーの面で課題はいまだ続いていると思える。
そういう点で、歴史に学ぶと共に、「管理」する側の発想ではなく、「管理」される側として日頃から考えておく事はたくさんあるのではないかな。
首都圏直下地震なんか起きたらどうなるんだろうねぇ。
関東大震災の二の舞はゴメンだよ。
社会不安や実際の気候不順、経済停滞などで行き着いた先が戦争だったりしたんだからね。




神戸新鮮市場
兵庫県神戸市兵庫区東山町1,2丁目,荒田町1,4丁目
撮影 2013年12月14日 土曜日 17時00分
コメント (3)
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