Nonsection Radical

撮影と本の空間

猪瀬直樹と田中康夫

2014年01月21日 | Weblog
また古い本を見つけてきて読み終えた。
猪瀬直樹著 「増補 日本凡人伝」と「日本凡人伝 二度目の仕事」だ。
一般的にはあまり有名ではない、それでいてある種変わった仕事や立場の人へ対するインタビュー集だ。
猪瀬直樹”元知事”は1946年生まれで、この本のインタビューが雑誌「スタジオ・ボイス」に連載を始めたのが1982年だから36歳という事だ。
スタジオ・ボイスって当時なんとなくナウなヤング(死語)が読む雑誌というイメージがあったのだけど、猪瀬がインタビューする相手は中年、壮年、老人が多い。
若い頃の「物語り」を訊くという感じで、36歳の猪瀬自身その話を古くさいとか感じていないような「同じ時代」を共有している話しっぷりである。
その話がつまらないとかという問題ではなく、1982年から85年まで続けられた連載で、明治生まれから昭和ヒトケタ世代の話をも反発するでもなく、時には同調して「当時」の話をしている事が興味深いのだ。
つまり断絶していないのだ。

一方、田中康夫は1956年生まれで、猪瀬直樹が信州大学全共闘議長をしていた時に、信州大学教育学部附属松本中学校に入学したので、10歳の年齢差はあるが同時期に同じ長野の空気を吸っていた事になる。
そして「日本凡人伝」の連載が始まる2年前の1980年に「なんとなく、クリスタル」を発表し、82年には「ブリリアントな午後」を刊行している。
一方は明治大正昭和の”古い”価値観で生きてきた人達のインタビューでその時代を共有するような話を発表し、一方は古い価値観から解き放たれて新たな価値基準をも平等化する視線で「現在」を描いている。
これが同時期に行なわれていたのが1980年代前半という時代だったのだ。
10歳の年齢差で学生運動と”ブランド世代”とに別れ、価値観も強いて言えば戦前、戦後とをわけるほどの違いを見せる事になる。
そのように考えると、発表当時オトナが嘆いた石原慎太郎の「太陽の季節」などは(ちなみに石原がこれで芥川賞を受けた年に田中康夫は生まれた事になる)、所詮戦前、戦中世代の同じ価値観の中での”嵐”であった事が現在の石原の言動から理解出来る。
猪瀬が石原の子分となる背景には、同じ価値観を持つ世代の中での「カッコいいアニキ」と映るものがあったのではないか。
しかし田中康夫が猪瀬直樹と同じ価値観を持っているとは考えにくい。
違う世代なのである。
この年齢差10年という時間のある時期に、本当に価値観の違う世代が生まれ育ったのではないか。

違う世代がある時期に東京という場所でものを書くという仕事をして、このような異なった視線の本を出していたというのは大変興味深いものだと思ったのだった。
そしてその視線の違いは現在の立場の違いにも続いていると思えるのである。




今津町住吉2丁目の街並み
滋賀県高島市今津町住吉2丁目
撮影 2013年12月28日 土曜日 12時00分


月見山商店街
兵庫県神戸市須磨区月見山本町2丁目
撮影 2013年12月14日 土曜日 16時05分
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