Nonsection Radical

撮影と本の空間

カタログ誌的なもの

2013年10月25日 | Weblog
ウェブで商品情報を見てはいるけど、カタログ雑誌を見るのも好きなんだよねぇ。
何か面白いものはないか、夢を感じるものはないか、欲しいものはないかとページをめくる事で、世の中のハヤリもわかって、とかく流行とは無縁になるオヤジ世代としても、少しは社会の片隅に位置している実感が感じられるのが嬉しいのよ。
景気がいいかは新製品の数でもわかるし、斬新な製品が出てくる事が世の中が柔軟である証拠だし、前向きに感じられるしね。
でもそういう点では、現在はカタログ雑誌自体が数が少なくなったし、ウェブの影響とはいえ、どの商品を取り上げるかというセンスの問題にも関係して、全体的にいまだ低調な状況だと言えそうだ。
一番の問題は、円安によって売れる製品さえあれば売り上げが伸びるはずのいわゆる輸出産業がまったくと言っていいほど、新製品の声を上げる事が出来ずに、むしろ市場撤退とかリストラ(再構築)とか守りの話ばかり出てくるのにウンザリする。
なんのための円安であるのか。
もう少し必死さを出して売れるものを開発する”義務”があるだろうに。
もっとも他と違う思考回路を持つような人間は、すでにこれまでのリストラ(首切り)で淘汰されてしまい、残っているのはどうでもイイようなアイデアしか思い浮かばない使いやすいベンリー君(死語)しか残っていないのかもしれない。
またギチギチと締めつけられて奇想天外な事を考える力さえ残っていなくて、元気をつけるはずのランチでさえ、立ち食いソバとか牛丼とかセンスとは無縁の生活をおくって、いつの間にか家畜人のようになってしまっているのかもしれない。
カタログ雑誌でも、広告と結びつけてしか誌面を作らない生活をおくった結果、面白いものを作る気持ちもなくなったのかもしれない。
これらは全て会社がそういう方針をとってきた結果で、自業自得なんだけど、それにつきあう”読者”もいい加減イヤになってくるのも当然だし。
そういえば、ウェブ上ではシロートが何か新しいものを買った時に、それを動画や写真で「開封の儀」と称して、箱を開ける所から紹介する事が行なわれているのだけど、このあいだデジカメの紹介サイトでクロートのリポーターが馬鹿げた事に同じ事を報告していて、世も末になったなァとため息をついたのだけど、これもクロートの発想の貧困さをあらわしている一部なのだろう。
新しいものを紹介して、それを購買意欲に火をつける一端にしようとする目的のカタログ雑誌なり、カタログ的なものは、もっと夢を与えるような積極性の感じられる誌面づくりをしないと、その存在価値が疑われてしまうね。
夢を、将来を、売るというのがアベノミクス的発想なのだから、それに乗って景気を上向きにしたいと思うメーカーや周辺は、もっと必死になって頭を使ってものづくりに走ってもらわないと。
そしてにぎやかにカタログ雑誌を飾って、購買意欲に火をつけて欲しいよ。
今の現状で、何を買えというのですか?
もう一年経とうとしていますが、何か?





壬生京極会商店街 2
京都府京都市中京区壬生下溝町,壬生高樋町,壬生松原町,壬生梛ノ宮町,壬生辻町
撮影 2013年8月3日 土曜日 15時30分


銚子電鉄 観音駅近く
千葉県銚子市前宿町,馬場町,南町,陣屋町
撮影 2013年8月12日 月曜日 15時05分
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