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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



今半別館。台東区浅草2-2
2015(平成27)年12月8日

浅草仲見世の北の端に近い裏手にある有名なすき焼きの店。店名が新仲見世(浅草1-9)にある「今半本店」の支店かと思えてしまうが、1921(大正10)年に暖簾分けして、経営上の関係はない。
建物は2003年に国指定文の登録有形文化財に登録された。「北棟」「玄関棟」「南棟」と別個に登録されている。今半別館の建物は中庭を中心に3棟が配置され、仲見世の裏に向いた北西角に「ホール席」の建物がある。写真では玄関棟の正面しか分らないが、玄関の左が北棟、右の瓦屋根が見えるのが南棟で、玄関の後に中庭がある。
文化庁>国指定文化財等DB>今半別館玄関棟』の解説文によると、玄関棟は「入母屋造,桟瓦葺…入口脇に座敷2室を配す。狭い敷地を巧みに利用,老舗料理屋に相応しい構えを造る」。北棟は「2階建,正面入母屋造,東面切妻造,桟瓦葺で,1階に厨房,配膳室,事務室,2階に大小の座敷を配する。大広間の大床と飾棚による豪華な構成,次の間天井の鳳凰彫物など,宴会場の晴れやかな空間を演出する」。南棟は「2階建,切妻造,桟瓦葺で,敷地の関係からL字型の平面とする。1,2階とも片廊下に沿い客室を配し,1階東端には旧風呂場も残る。室内は各室とも座敷飾りを備え,天井,建具,欄間とも,銘木をふんだんに使い職人芸の粋を凝らす」ということで、建物そのものより建具や天井と欄間の彫り物などの豪華さが見物らしい。
長美喜三郎は本店で10年働いた後、大正10年に暖簾分けで三田に支店を出した。戦後、焦土の浅草に今半別館を建築する際、本店の「今半御殿」の再現を目指したらしい。関東大震災後に建てた今半本店は「今半御殿」と呼ばれるほどの豪華絢爛な建物だった(『出会いたい東京の名建築』三船康道著、新人物往来社、2007年、2000円+税)。

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