ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




芳野屋。台東区浅草2-29。1988(昭和63)年5月1日

花やしき通りの花やしき(遊園地)の門の向かいにある芳野屋は、ネットによれば大衆食堂で、ビールを飲みながら競馬中継のテレビを見ているおじさんたちが常連という店らしい。浅草寺にお参りに来る人の茶屋として開業したのだと思うが、浅草の場外馬券売場(ウインズ浅草)ができるとじきにそうなったのだろうと思われる。浅草の場外の設立は1963(昭和38)年で、浅草寺の裏にあったという。1967(昭和42)年に「新世界」の3階に、1969(昭和44)年には4階を借りて入居した。新世界の跡地に場外のビルが建ったのは1973(昭和48)年12月(『ウィキペディア>新世界』)。
時空を超える昭和遺産的大衆食堂|神林先生の浅草ランチ案内㉒』によると、「「芳野屋」創業者の上村(かみむら)吉太郎氏は、戦前は本屋やブロマイド屋をなさっていた。そして、妻の芳江さんは「上村美容室」をなさっていた」「東京大空襲で浅草のそういった店は消失してしまう。戦後、観音様(浅草寺のことを地元の方はそう呼ぶ)から焼失した商店に替地(かえち・代替地)が割り当てられた」「かくして1943年に「芳野屋」が誕生する。そして何と、吉太郎氏は物資が不足していた時代だったということもあり、釘を1本も使わずに、木材を組み合わせてバラックの店を自力で建ててしまった。それが今の店なのだ」。
22年ほど前に経営は2代目に移り、やがて店主も体を壊して土日の営業に変えて3代目が手伝うようになる。夏場はかき氷に行列ができるので平日も営業する、という具合で続けてきていたが、2021年9月末で閉店した。
写真に写っている建物は今も替わっていないが、残っている店はない。5月の連休の日曜日なのでなかなかの人出だ。2008(平成20)年に、「浅草花屋敷通り商店街」は、通りの建物を江戸城下町風のファサードに統一する改修を行った。花やしきの外観とも合わせて、同じ商店街と一目で分る工夫なのだろう。

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