ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



溝川酒店
神奈川県三浦市三崎1-11
1994(平成6)年5月2日

日の出通り商店街にあった高橋屋靴店のすぐ並びにある商店。溝川酒店は、今も店舗もそのままで盛業中だ。下の写真では壁の傷んだ箇所を補修している。目地も再現すればよかったのに、と思う。建物外観のデザインが高橋屋靴店と似ている。2階の窓にある鉄板の鎧戸が珍しいかもしれない。
店の横の路地を入ると石段を登って本瑞寺に至る。街を見下ろすのに格好の場所だそうで、今度三崎に出向いたら忘れずにいってみようと思っている。下右の写真はその石段の上からの風景。出典は『昭和30年代の神奈川写真帳』(アーカイブス出版、2007年)で、写真のタイトルは「三崎漁港を望む、昭和30年。」。この写真の中央に写っているのが溝川酒店である。驚いたことに屋根がへこんでいる。こんな施工もあるのかと不思議な気がするが、正面と側面の壁を高くした場合、このほうが合理的かとも思える。



2007(平成19)年11月17日。右:『昭和30年代の神奈川写真帳』より転載

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高橋屋靴店。神奈川県三浦市三崎1-11。1994(平成6)年5月2日

日の出通り商店街の中ほどにあった店。現在は駐車場になってしまっているが、ポストの位置と、左の小さい商店がそのままの姿で残っているので、建物があった場所が判る。右の石塀は住宅のものらしい。その家も写しておけばよかった。現在、駐車場の奥に建つ家に建て替わったのだろう。
建物は全体の四角い箱のような外観に少し手を入れてモダンな見栄えにして、装飾も置いている。 「旧福島商店」に似ていると思ったら、上の軒下の飾りは旧福島商店にあるものとほとんど同じである。同じ施工者による建築と思える。

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左:安心堂(男物洋品店)。神奈川県三浦市三崎1-11。1994(平成6)年5月2日
右:花(小料理)。2007(平成19)年11月17日

山田金物店から少し北へいった向かい側。安心堂洋品店の建物は中央に突き出た放物線状のアーチが特徴の看板建築。写真では肝心のその部分が欠けている。せっかく営業していた頃の、窓枠も改装前の記録だったのに……ファインダーで見た通りには写らない安物のカメラだったようだ。
安心堂の右の家の正面は戦後の改装だろうか。看板が残っていて、かつては飲み屋だったと知れる。その入り口は横の路地に開いている。


八百兵商店
三崎1-14
2007(平成19)年11月17日

八百兵の前の街灯に「日の出通り」の表示があるが、安心堂のある日の出通りの東の裏通りである。この通りは商店街というほどではないが、古い仕舞屋や民家が見られる。写真右の角の家は、ストリートビューでは空き地になっていた。

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上:魚六。神奈川県三浦市三崎1-15
1994(平成6)年5月2日
左:山田金物店。2007(平成19)年11月17日

三崎のすずらん通り商店街を北へいくと、かつて高野湯があった四つ角から日の出通りに変わる。魚六はその四つ角から2軒目。上の写真では「サンロード」の表示の古い街灯だが今は左写真のものに替わっている。写真に写っている建物は今もだいたいが残っている。魚六は、今は看板をはずしてしまっているので、廃業したのかもしれない。
蔵造りの店舗が山田金物店。三崎の町に今もわりと普通に見られる蔵造りの家だが、この建物は、金物店――昔風にいうと荒物屋――という商品とマッチして、いい佇まいである。ただ、いつまで商売をやっていけるだろうか。

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上:石川理髪店。左:山田屋
千葉県松戸市松戸
2008(平成20)年2月19日(3枚とも)

松戸駅のほうから旧水戸街道を南にいくと春雨橋という坂川に架かる橋を渡る。上の写真では右端に春雨橋があり、その際から3軒の古い家が並んでいる。向かい側にも岡松栄泉堂という出桁造りの家と銅版貼看板建築の家が並んでいて、昭和初期の水戸街道の景観が残る名所のような地点だ。
松戸宿>家並みの変遷>旧街道』によると、平成5年の時点で、上写真左から、石川理容店、山田板金、福岡家店舗。現在ではいずれも商売を続けているようには見えない。3軒とも明治末期の建築らしい。
『昭和の松戸誌』(渡邉幸三郎著、崙書房出版、平成17年)の昭和12年の三丁目(旧町名)家並み図では、石川理髪店、銅菊山田屋(ブリキ屋)、福岡薪炭店。福岡薪炭店はわりと早く廃業したようだが石川理髪店と山田屋は昭和初期から(あるいはもっと前から)つい最近まで続いてきた店である。

下写真の福岡家店舗は屋敷の敷地の街道沿いに建てられた店舗。今は住居に使われているのだろう。横のレンガの壁は見えている片側だけ。防火用に後からつけたようにも見える。『昭和の松戸誌』には「福岡薪炭店は江戸期以来の松戸きっての資産家。通称中屋籐八。九代目。今は資産管理業。裏に神社。松戸神社の祭礼時にはいつも神酒所に」とある。店舗左に立派な門があり、中に鳥居が見えている。坂川沿いの路地から屋敷の横を見ても大木が何本もあって中の様子はよく判らない。煉瓦の倉庫があるのは認められる。




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福岡種店。千葉県松戸市本町。2003(平成15)年10月29日

旧水戸街道(現・県道5号線、流山街道)沿いの古い商家。今も商売は続いている。すぐ北の並びにある原田米店の旧店舗とほぼ同規模で同じ造りの家である。
『昭和の松戸誌』(渡邉幸三郎著、崙書房出版、平成17年)によると、「福岡種子屋は大正元年に福岡籐八より分家、家屋は大正12年新築の中二階」。福岡籐八とは、福岡種店のすぐ南、春雨橋際に屋敷を構えている江戸期からの旧家で、薪炭商をしていたらしい。
店舗をよく見ると一階の軒が原田米店より短く、従って軒を支える柱もない。知らないとそういう造りかと思ってしまうが、軒を短く切られてしまったためだ。『昭和の松戸誌』には、昭和10年に水道管を埋める工事とともに道路も拡幅された。その際、四尺五寸の従来の軒を三尺切り取られたと記されている。


1989(平成1)年4月1日

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