ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




法恩寺橋。墨田区石原4、太平1。1988(昭和63)年10月10日

蔵前橋通りの大横川に架かる橋。橋の東、太平1-26に平河山法恩寺という寺があることからの橋名である。大横川は江戸時代初期に通船・排水のために掘られた運河。最初の法恩寺橋の架橋は1659(万治2)といわれ、大横川の開削時に架けられたものだ。明治初期の地図でも橋の位置は現在と変わらないから、蔵前橋通りの道筋は架橋の時点ではすでにあったらしい。

現在の橋は 『BRIDGE WATCHING』 によると、大正13年4月~14年11月に架橋された震災復興橋で、設計は復興局。「ラーメン橋台付鈑桁」という橋梁形式になるそうだ。昭和57年11月に中央部分を「単純鈑桁」に架替えている。架替え前がどんな外観だったのか気になる。左の写真は『東京の橋 生きている江戸の歴史』(石川悌二著、新人物往来社、昭和52年)にあった写真。上の写真と同じような写角で撮られている。橋の中央に橋桁があったようだ。中央部分の欄干は今のものより簡素である。



法恩寺橋。墨田区太平1。1988(昭和63)年10月10日

大横川は現在では大横川親水公園として整備された。完成は1993(平成5)年4月1日。写真ではまだ工事中だ。
親柱のデザインは東京中央電話局(設計=山田守、1925年)の塔屋に似ている。 『分離派建築博物館』には、「・・・山田守は震災後に復興局橋梁課嘱託の命を受け、山田の配下にあ った山口文象(当時岡村蚊象)が嘱託技師の立場で実際に多くの橋の設計に携わったことが知られている。山田の作風が橋を設計した山口に何らかの形で伝えられ反映されたことは想像に難くない。」という記述がある。

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