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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




末広湯。千葉県浦安市堀江3-4。2009(平成21)年4月24日

堀江フラワー通りの、旧宇田川家住宅の隣にある銭湯。2019(平成31)年4月7日を最後に、閉店した。ほぼ、平成が終わると共に廃業したわけだ。たぶん客の減少と設備の老巧化のためと思われる。
創業がいつかは分らないが、建物は戦後まもなくのもので、ネットでは昭和25年とか28年と出てくる。それ以来、修理はしてきたのだろうが、改装はせずにきたらしい。ロッカーは開業時にはなかったと思われる。玄関の両脇にある切妻屋根は便所だろうか。
浦安で漁業が行われていた時代に、仕事を終えた漁師が一風呂浴びにやってきた時代がしのばれる、そんな銭湯だったようだ。浦安市が動いて保存できれば、江戸末期の漁師の家(旧大塚家住宅)、明治初期の商家(旧宇田川家住宅)にこの昭和期の銭湯が1カ所で見られる歴史地区になるのだが。

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旧大塚家住宅。千葉県浦安市堀江3-3。2009(平成21)年4月24日

旧宇田川家住宅から間近の、境川に面している漁師の家。1985(昭和60)年にもとの持ち主から浦安市に寄贈され、1987(昭和62)年から一般公開している。
寄棟造茅葺屋根、平屋で間取りなどの特徴から江戸時代末期の建築と推定されている。屋根裏があり、水害に備えて家財道具などがしまわれていた。
現地の案内板によると、大塚家は屋号を「兵左衛門」と称し、周囲からは「ショウゼムドン」と呼ばれていた。海の埋め立て以前は、冬季に海苔を生産し、また農業も営んだ反農半漁の家だったという。
浦安と言えば今はディズニーランドなのだが、昔は漁師町だった。それを伝える建物が移築によることなく元の場所に残されたわけで、実に貴重だ。

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旧宇田川家住宅。千葉県浦安市堀江3-4。2009(平成21)年4月24日

東西線浦安駅のすぐ西を南北に通っているのが千葉県道6号市川浦安線で、そこを南へ行って浦安駅前交差点を突っ切ると「宮前通り」となる。さらに250mほど南で境川を新橋で渡ると西側に清瀧(せいりゅう)神社という大きな神社がある。宮前通りの由来になる神社かと思える。境内に「堀江水準標石」というものがあることを押さえておこう。
清瀧神社の向かい側が「堀江フラワー通り商店街」の西側の入口である。「堀江フラワー通り会」の看板を付けた街灯が並んでいるが、今は住宅街の通りとしか見えない。フラワー通りに入ってすぐ目に付くのが立派な日本建築の商家「旧宇田川家住宅」だ。


旧宇田川家住宅。千葉県浦安市堀江3-4。2009(平成21)年4月24日

旧宇田川家住宅は明治2年(1869)に建てられた店舗と裏の住宅からなる建物。『浦安市>文化施設>旧宇田川家住宅』には「米屋、油屋、雑貨屋、呉服屋などの商家として使われてきました。幕末から明治に至る江戸近郊の町家の形をよく伝えており、商家遺構の少ない関東では特に貴重な建物であることから、昭和57年に市の有形文化財として指定、昭和59年から公開しています」とある。
建築当時の住所は「葛飾県葛飾郡堀江村」。昭和58年に浦安市に寄贈された。店舗部分は見学者用に明治期の呉服屋を再現している。大正3年(1914)には浦安郵便局、昭和21年(1946)年から48年までは診療所として使われこともあったという。

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福田屋書店、太田屋茶店、埼玉県川越市久保町4、6。1989(平成元)年9月18日

喜多院不動通り商店街に、路地を挟んでよく似た外観の洋風店舗が並んで建っている。最近発売された『川越の建物 近大建築編』(2021年、仙波書房、税込2200円)によると、福田屋書店と太田屋茶店は共に、隣の大工棟梁が1929(昭和4)年に建てたもので、頭領の家も洋風なモルタル造りだったという。
福田屋・太田屋とも石造り風の壁が人造石の洗い出し仕上げ。2階の窓の上部両端に並ぶレリーフは「スワッグ」という名称だという。

喜多院不動通り(久保町通り)は、昭和3年に拡幅された。そのため、この通り沿いの古い家は昭和4年頃の建築が多い。

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マツモト洋品店。埼玉県川越市久保町4。1989(平成元)年9月18日

埼玉県道15号川越日高線は久保町(くぼまち)を東西に通っていて、「喜多院不動通り商店街」になっている。写真の家並みは川越街道との交差点・松江町交差点から東へ130mほどのところ。2016年頃まで写真のままの家並みだったが、今は「パレステージ本川越」(2019年2月築、15階建て61戸)というマンションに替わった。
出桁造りの重厚な家は商家だったと思われる。写真では1階が黒く潰れてしまったが、細かい格子状の桟のガラス戸が8枚はまっている。
写真右は看板建築にした二軒長屋で、マツモト洋品店とまえじま理容店。袖看板に「久保町大通り」とある。

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みこもり(和守)煎餅。埼玉県川越市連雀町15。1989(平成元)年9月18日

大正浪漫夢通りと、立門前(たつもんぜん)通りの交差点角にあった煎餅店。写真右の角は当ブログ前回の大野屋洋品店だ。
最近発売された『川越の建物 近大建築編』(2021年、仙波書房、税込2200円)によると、「1920年(大正9年)の築。木造トタン張りの洋風建築で、煎餅店として長年使用されたが、2008年(平成20年)に閉店。2018年(平成30年)に解体に至った」ということで、つい最近まであった建物だ。
二階の縦長窓と石積み風の模様を入れたトタン張りの壁を持った、洋風の建物である。1920年に建ったときから洋風の外観だったのだろうか? みこもり煎餅は1928(昭和13)年創業、としたサイトがある。看板には「川越店」とあるから、本店が別にあったのかもしれない。ネットでは「発狂くん」という煎餅に関することが多い。商品名として商標登録しているのだが、今でも許可されるだろうか。建物後ろは「フォトアイ」というDPE店が入っている。

写真右は高松屋菓子店と田中屋履物店。こちらの建物は、コーニスを巡らし、その上にペディメントのような飾りを置いている。壁は白いタイル張り。洋館といっていい造りだ。みこもり煎餅と同時に解体されたらしいが、そのときは屋根が落ちたひどい状態だった。

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大野屋洋品店。埼玉県川越市連雀町13
1989(平成元)年9月18日

南北方向の「大正浪漫夢通り」と、蓮馨寺(れんけいじ)山門から東へ延びる「立門前(たつもんぜん)通り」との角にある洋品店。大正浪漫夢通りは、かつてはその北半分が「銀座通り」という全蓋式アーケードのある通りだった。また、中央通りの裏通り的存在だったのと、南の、駅に近いほうに客が移って、川越有数の繁華街だったという銀座通りは衰退の一方だったようだ。
「蔵造りの町並み」で一番街などに観光客が訪れるようになると、銀座通りもなんとかしようと考えたのだと思う。多く残っていた洋風看板建築の店を生かして、大正ロマンをテーマにした商店街を目指して、リニューアル(の反対?)を始めた。アーケードを取り除いたのが1995(平成7)。
大野屋洋品店もそれに合わせて外観を改装した。今の1階の洋風の造りはそのときのものである。写真は改装前のもので、写真右に銀座通りのアーケードが写っている。1階がどのような外観なのかさっぱり分らない写真だ。
最近発売された『川越の建物 近大建築編』(2021年、仙波書房、税込2200円)に、銀座商店街のゲート(アーチ)の全部を納めた写真が載っている。それに写っている大野屋は、赤い車の後ろは大きなガラス窓のショーウインドーで、今の建物とあまり変わりないように見える。
当書によると、建物は1930(昭和5)年の建築で、木造3階建て。2階は後退していて、洋風の石造り風の外観とは異なり、「二重菱」もようの横長窓が和風にも見えて、そのミスマッチが魅了、とも言っている。
大野屋は大正時代から続く衣料品店で、現店主は3代目。

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興津郵便局。千葉県勝浦市興津2601。1988(昭和63)年8月7日

国道128号(外房線と海岸の間の旧道)の上総興津駅の辺りで、興津駅前交差点から西へ200mくらい行ったところに興津郵便局がある。郵便局の建物は、今は建替わって機能的になった感じだ。田舎の郵便局なら写真の古い建物で十分だろう、などというと叱られるのだろうが、つい思ってしまう。
写真の建物は外観から見て、戦前に建てられた洋館風の木造の建物だろう。玄関両脇の円柱と上にアーチの飾りを施した縦長の上げ下げ窓。玄関の庇の下には右から書きで「興津郵便局」の字。4個ならんだ2階の窓は縦長の上げ下げ窓。建物両端の柱形上部のレリーフ。正面中央上部の小さな郵便マーク。平面的な感じだが、それなりに見所はあったようだ。
写真右の大黒屋酒店は今も健在。建物左の一階部分は取り壊して駐車場になっている。



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魚希鮮魚店。千葉県勝浦市興津2636。1988(昭和63)年8月7日

国道128号(外房線と海岸の間の旧道)の上総興津駅の辺りの家並み。当ブログ前回の塩谷酒店の写真の左端に写っている家が、上写真の右端にわずかに写っているビーチボールを売っている店。ストリートビューで見ると、この家は廃業したようだが建物だけはそのまま残っている。写真右の平屋の看板建築風の家は、両端の飾りがなくなっているが残っている。
魚希鮮魚店は2018年に取り壊されて、今は空き地のようだ。つい最近まで建物は写真の姿で残っていたわけだ。その左の家は残っているが、さらに左の自販機を置いてある家はなくなって駐車場になっている。

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塩谷酒店。千葉県勝浦市興津2655。1988(昭和63)年8月7日

国道128号(外房線と海岸の間の旧道)の上総興津駅の辺り。興津駅前交差点から西へ70mほどのところ。写っている店は右から、○瀬履物店(写真の字が読み取れない)、塩谷酒店、渡辺精肉店、鎌田商店(塗料、金物)。
現在はストリートビューで見ると、履物店は家がなくなって「松葉屋飯店(興津駅前交差点そばにある)専用駐車場」の看板がある。塩谷酒店は蔵造りの2棟を店舗と車庫にしている。今はコンビニのヤマザキデイリーストア勝浦興津店に建替わっている。そこに写真にもある「地酒 腰古井」の看板が立っている。腰古井の醸造所・吉野酒造は上総興津駅の北の山(興津城跡がある)の裏側、駅から真北へ、直線距離で1.5kmのところにあり、その建物は国登録有形文化財だ。
写真左奥の2軒、渡辺精肉店と鎌田商店は今も健在。渡辺精肉店の建物は2016年頃に屋根を葺き替えるなど修復しているが、店先は変わっていないようだ。

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