goo blog サービス終了のお知らせ 
ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




サンロイヤルビル。千代田区神田駿河台2-4。1985(昭和60)年7月7日

当ブログ前回の「ウイーン」と同日の撮影。「サンロイヤル」という喫茶店の、「お城のような」「ロシアの教会のような」と言われるランドマーク的なビルである。『御茶ノ水駅サンロイヤルビル』には「1971.8(昭和46年)竣工」とあり、当初は「サンロイヤル」という大きな喫茶店として建てられたと思われる。写真では喫茶店の看板はなく、ピザとしゃぶしゃぶの店に替わっている。垂れ幕に「サンロイヤル」の文字があるが、社名として出ているのかもしれない。
このビルもついに建替えのため、今頃は解体工事が始まっているようだ。

都内には西洋の城郭のような外観にした喫茶店がいくつかある。新宿歌舞伎町の「王城」が有名だ。上野にあった「名曲喫茶ウィーン」の他に、今も建物は別の店になって残っている両国の「純喫茶 白鳥」を知っている。どれも同じような時期に建てられたのではないかと思う。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )





名曲喫茶 ウイーン。千代田区神田駿河台2-4。1985(昭和60)年7月7日

先日、当ブログの『中央大学駿河台キャンパス』に道草亭ペンペン草氏からコメントを頂いた。その中で喫茶店のウイーンに言及されて、ネットではサンロイヤルと混同されていることがあるのを嘆いている。ウイーンの写真は撮っていたので、改めて眺めてみたら、ぼくも勘違いしていたことが分かった。というわけで、早速「名曲喫茶ウイーン」(「ウィーン」と表記するのかもしれないが、あえて)をアップしてみた。
現在「ウイーンビル」は建て替えられていて、それがいつのことなのか分からない。『復刻版>名曲喫茶「ウィーン」』のコメントに「ウィーンが潰れた昭和60年」とあった。撮影後じきに閉店したようだ。開店した年代は分からない。1969(昭和44)年の住宅地図に「喫茶ウイーン/バーニューウエル」で出ている。


名曲喫茶 ウイーン。1985(昭和60)年7月7日

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )





中(あたり)質店。千代田区神田神保町2-5。2006(平成18)年3月31日

手前の駐車場(アップルパーク)はさくら通りにあった東洋キネマの跡地。現在は「住友商事神保町ビル」(2011年11月築、8階地下Ⅰ階建て)が建っている。
中質店』によると、「1931(昭和6)年、神田神保町のこの地で開業。……1993(平成5)年、本社を自社ビルに建て替え営業開始する」とある。写真の蔵は開店時の1931年頃に建てられたものなのだろうか。ストリートビューを見ると2013年以前に取り壊されて駐車場になっている。
撮影時にはとっくに看板の矢印のほうに、路地を出た横町の向かい側のビルに移っていたわけだ。そのビルが建つ前にあったのが、『伊勢屋和菓子、不言堂薬局』。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





ナカジマ青果店、ヤマザキショップ中島店。千代田区神田神保町2-10。2006(平成18)年3月31日 

靖国通りの専修大前交差点と神保町交差点の中間辺りを北へ入ったところにあった戦前築の二軒長屋。ストリートビューからだが、2019年に取り壊され、現在はマンション(8階建、2022年11月完成予定)を建築中。
ナカジマ(中島)青果店は戦後すぐの火保図に載っているので、戦前からある店かもしれない。ヤマザキショップは昭和50年頃の地図では「ナカジマ電気」で、電気店だった時期があったようだ。この二軒長野の裏に別の戦前築の二軒長屋がまだ残っている。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





早川写真工房。千代田区神田神保町2-42。1995(平成7)年6月25日

白山通りの西神田1交差点と専大通り-水道橋西通りの西神田交差点を結ぶ東西の通りの中央辺り。写真右奥は南の方向で靖国通りに出る。写真に写っている古い建物は戦後まもなく建てられたものだろう。現在は大原学園高等学校のビルが建っている。2009(平成21)年に開校しているのでその時に建ったのだろうか。
交差点角の家は「早川写真工房」。廃業しているように見えるがフジカラーの幟が立っていて、DPEの店だったようだ。そこから右へ、住宅、マイクロ印刷、川上商会。
右奥のビルは「昭和ビル/昭和図書株式会社」。『NISSEI>昭和ビル』によると、1959(昭和34)年の竣工。2001(平成13)年5月に現在のビルに建替えられた。『昭和図書株式会社』の会社沿革では、「1959年、昭和図書設立」「1964(昭和40)年、神保町倉庫を建て替え、本社ビルが完成」とあり、こちらの方が正しいようだ。
写真左の「阿部ビル/ベーカリーアベ」が今も変わっていない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





セブンヘアー。千代田区神田神保町1-13。2006(平成18)年5月4日

白山通りとすずらん通りの交差点角にあった床屋。隣の「東明徽章」と一緒の、たぶん戦前築の看板建築。
東明徽章は昭和25-30年火保図に「バッチ東明社」と出ているので、戦前からあるバッジ・トロフィーの店かもしれない。『月光>神保町 救世軍』に、1976年に撮られた写真が載っていて、看板に「東明徽章工藝社」とある。
角の床屋は昭和50・60年代では、同じ床屋だが「理髪一番」だった。
ストリートビューからだが、建物は2019年に取り壊されて、2020年頃に2棟の3階建の家に建て替わった。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )





猿楽町町会詰所。千代田区猿楽町2-3。1988(昭和63)年10月10日

昭和初期(1930年頃)に「猿楽町駐在所」として建てられたRC造の交番。その後、交番は廃止されて町会の詰所になった。現在は「千代田区 神田猿楽町町會詰所」の看板が掛かっている。2003(平成15)年6月に「千代田区景観まちづくり重要物件」に指定された。
戦後(昭和25-30年)の火保図では「×」で、交番のマークと思われる。1969(昭和44)年の住宅地図では「防火防犯詰所」。交番が廃止されたのは昭和30年代だろうか。建物の2階は町会詰所になってからの増築と思える。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





いとへん会館。千代田区東神田1-1。2007(平成19)年1月4日

浜町川を埋め立てたところに建てられた繊維問屋が入居する長屋式の建物。写真右手前には「橋本会館」があった。いとへん会館も橋本会館と同じく昭和27年頃に建てられ、神田の露天商が移ってきたものと思われる。『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』(藤木TDC著、実業之日本社、2016年、2640円)では、「連鎖式店舗」といっている。浜町川跡には神田の露天商を収容する連鎖式店舗は10棟ほどがあったらしいが、現在も残っているのはこの1棟のみ。
左右の道路は神田金物通りの南の裏通りで、浜町川には橋本橋が架かっていた。橋本町(1934(昭和9)年に東神田に改名)からの名前で、橋名から橋本会館と名付けられたのだろう。
写真右の緑は龍閑児童公園。公園の中央辺りから南西に通っている路地が龍閑川の跡で、いとへん会館の後が浜町川との合流点だった。写真左奥のマンションは「パレステュディオ神田EAST」(2004年1月築、8階建70戸)で、「結(むすび)会館」が建て替わったもの。



いとへん会館。2004(平成16)年2月7日

店舗は左から、西田衣料(スラックス、スカート)、丸徳繊維、佐藤商店(ユニフォーム、鳶衣装)、島田メリヤス(メリヤス、ランジェリー)、郷(かけそばや)(1枚目写真ではさぬきうどんの賞讃神田店)、マルシン。現在も営業しているのは丸徳繊維だけのようだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





橋本会館。千代田区東神田1-1。2004(平成16)年2月7日

戦後、浜町川を埋め立てて建てられた、主に繊維問屋が入居する建物。木造2階建てと思われる。2棟の同じような建物が南北に並んでいて、南側のほうには建物の角に建物名称が書かれている。北の方もほぼ同じ造りなのでこれも橋本会館としておく。
協和会館』で述べたように、「神田須田町、小川町の靖国通り沿いの繊維関係の露天業者が橋本会館、大和会館、繊維会館を建設して1952(昭和27)年に移転した」(『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』藤木TDC著、実業之日本社、2016年、2640円)。
2011年頃に取り壊され、「ウィルローズ小伝馬町」(2014年2月築、14階建50戸)というマンションに替わった。



橋本会館。写真右端のグレーの壁面は「協和会館」。間の路地に裏側にある「理容スター」の看板が掛かっている。2011(平成23)年3月25日



橋本会館の裏の路地は浜町川の西の河岸で、倉庫などが建っていたところかと思う。「栗田布帛印刷所」があるのが橋本会館の南の棟。奥の軒が低いのが北の棟になるのかと思う。居酒屋の「よねやま、かめや、金時、みすゞ」に「あやめ寿司」と、ほとんど飲み屋街。2011(平成23)年3月25日



理容スター。北の棟の北の角にあった理髪店。2008(平成20)年9月1日

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )





協和会館。千代田区東神田1-1。1987(昭和62)年4月5日

戦後、浜町川が埋立てられ、その上に繊維問屋が入居するいくつもの長屋のような、あるいはアパートともいえる2階建ての細長い建物が建った。○○会館という名称が共通している。今残っているのは「いとへん会館」1棟だけと思われ、他はマンションなどに建て替えられた。「協和会館」は神田金物通りを挟んで2棟あったが、写真は南側のもの。

『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』(藤木TDC著、実業之日本社、2016年、2640円)に、建物の成立事情が書かれているので紹介する。
事業は東京都建設局が1948(昭和23)年に開始した。すると露天商の撤去問題が発生し、浜町川の埋立て地を代替地に当てることになったらしい。神田須田町、小川町の靖国通り沿いの繊維関係の露天業者が橋本会館、大和会館、繊維会館を、そして神田駅東口前、鍛冶町の業者は協和会館、クラカケ会館を建設し、1952(昭和27)年に移転した。




協和会館。2004(平成16)年2月7日

協和会館はグレーの壁面までで、クリーム色の壁は橋本会館という別の建物。間に路地が通っている。
現在は橋本会館と共に、「ウィルローズ小伝馬町」(2014年2月築、14階建50戸)というマンションに替わっている。また、神田金物通りの北側の協和会館(東神田1-6)は最近まで残っていたが、「ルネサンスコート秋葉原」(2021年2月築13階建24戸)というマンションが建った。

左の写真は『goo古地図・昭和38年航空写真』に浜町川跡に建った衣料問屋の建物名を加筆した。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »