
東京クラブ。台東区浅草1-26。1986(昭和61)年10月26日
戦前から、すでに西洋物の2番館だったらしい。平面は三角形に近く、舞台になるところは三角形の鋭角になる位置で、舞台を置くには狭すぎるようだ。映画専門の劇場として建てたのかもしれない。スクリーンの大きさを売り物にする時代になっては、なんともならないだろう。
ファサード中央のベランダの張り出しは、下から見れば庇の張り出しになるわけだが、表現主義的な造形で、見ていて楽しい。メンデルゾーンのアインシュタイン塔を想起させる。アインシュタイン塔は殻から頭だか足だかを出したオウム貝を連想するのだが、東京クラブはベランダの張り出しの曲線が魚のエイみたいだ。曲線が有機的なものを連想させるだけのことだろう。表現主義が生物の形態をどうした、という話は聞いたことがない。
左:1985 (昭和60)年1月、右:1986(昭和61)年10月26日
枝川公一著『ふりむけば下町があった』(新潮社、1988)に東京倶楽部のことが書かれていた。枝松が館の事務員の女性(70歳)から聞いた話をまとめたものらしい。ここに載せた写真を撮った頃の話としていいだろう。
内容は「入場料700円は浅草で最も安い。17時からは500円に、20時からは300円と割引になる。2階の映写室にはフジ・セントラルの旧式映写機が。3階の客室からはスクリーンは、はるか下に小さく見える。ウチコミ(開場)は平日が10:30、土日が10:00。終了は21時で、1回目の上映は終了時間に合わせて途中から。馬券を買う人も早朝割引500円で入ってくる。1回だけは外出できる。」

横から見ると「芋虫のような」と形容される形である。建物の構造がそのまま現れている。今となっては中を見ておかなかったのがなんとも悔しい。700円払って入ってみればよかった。1985 (昭和60)年1月
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