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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



トキワ座。台東区浅草1-26。左:1987(昭和62)年4月4日、右:1985(昭和60)年1月

隣に建つ浅草松竹と東京クラブと同じく、設計は松成設計事務所で昭和6年竣工。松成設計事務所は劇場建築を専門に設計したという。この3館の他には浅草国際劇場がそうだった。それ以上のことは知らない。
ファサードの中央が膨れた壁面が意表をつくデザインで、表現主義的な雰囲気が感じられる。壁面の中央に寄せた3列の窓は古い洋式建築でよく見るようなものだ。
浅草常盤座は根岸興行部が建てた六区最初の劇場で、明治19年に歌舞伎を興行した。大正中期には根岸歌劇団の本拠、つまり浅草オペラの殿堂とされた。大震災後、写真の劇場になってからは演劇やストリップを見せていたらしい。永井荷風が楽屋によく顔を出したという話は有名だが、常盤座では桜むつ子がお目当てだったとか。ロッパの「笑いの王国」もここで旗揚げしたようだ。松竹系の常盤興行を経て松竹直営となり、戦後は森川信一座の軽演劇等が好評だった。1965(昭和40)年、中映に移管され「浅草トキワ座」と改称して邦画名画座になるが1984(昭和59)年に閉鎖された。ここにある写真を撮った後になるが、おかみさん会が松竹から賃借して演劇の定期興行を再開したこともある。(「ウィキペディア」及び「浅草六区」を参照)



トキワ座。1987(昭和62)年5月5日

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ストリップ (定マニア)
2010-09-30 14:04:38
田中小実昌さんの本を読んでいて、常盤座が出てきたので、閲覧しました。なにぶん古い話で、資料がみつかりません。ジプシーローズがここで活躍していたことは分かりましたが、彼女を発掘した正邦乙彦さんという人について何かご存知ありませんか?ストリップ劇場演出家の仕事から引退して、その後の消息が分からないのですが。
 
 
 
>定マニア様 (流一)
2010-10-01 13:05:38
田中小実昌、懐かしい人ですね。とはいっても私はほとんど知らないのですが、なんとなく好きでした。ブログ本文にはトキワ座の歴史のようなものを書いていますが、ネット上にあった記述の引き写しで、実際にはなにも知りません。
田中小実昌の本を読んでみたくなりました。図書館に行ったら探してみようと思います。
 
 
 
度々阿部定です (定マニア)
2013-03-08 13:54:49
私、ブログによっては、定マニアだったりさあちゃんとペンネームを使い分けしていますが、たまに混同しちゃいます。ご覧になったと思いますが、東京雑写というサイトで、阿部定の足跡が紹介されています。かつて阿部定が、事件を再現した芝居を「百万弗劇場」という場所でやったそうですが、ここと目と鼻の先にあったのですね。ジプシーローズと阿部定の競演?なんて強烈!あ、続ALWAYS三丁目の夕日で、ベティー片岡が踊っていた劇場って、トキワ座をモデルにしたんでしょうか?
 
 
 
>定マニア様 (流一)
2013-03-09 19:41:17
『東京雑写』によると、百万弗劇場は国際通りの「浅草今半」の向かいにあったわけですね。その今半は、平成20年に建て替わりましたが、それまでは昭和3年に建てたビルで営業していました。阿部定はそこですき焼きを食べているのではないでしょうか。
 
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