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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




東京大学船型試験水槽・研究室。文京区本郷7-3。2007(平成19)年12月15日

『日本近代建築総覧』に「東京大学船舶工学実験室、建築年=昭和12年〈1937〉」となっている建物だろう。『東京大学船型試験水槽』には「長さ85m、幅3.5m、水深2.5mの細長い水槽であり、造波機も備えています。船舶試験水槽としては小型ですが、日本国内の大学が所有する船舶試験水槽としては最も歴史があり、高い計測精度も誇ります。/東京大学は本試験水槽を用いて、アメリカズカップ艇の船型や、球状バルブ、超突出薄型バルブといった船首形状、そして水中翼付き双胴船の開発を行ってきました。さらに、水中曳航による乗用車の空力解析、トリマラン船型の特性評価など様々な実験、解析も行ってきました」とある。



船型試験水槽・研究室東側。2019(平成31)年4月18日

ネットにある資料では『船型学50年(2)―東大水槽との出会い―』および『東大水槽40周年資料』が東大水槽建設時の事情などに触れている。当時の工学部部長・平賀譲と山本武蔵教授の立案になり、三菱重工業長崎造船所が製作据付けた。義勇財団海防義会の寄付申出が実現の契機になったらしい。建物の設計は営繕課長の内田祥三。
平賀譲(ひらがゆずる1878年―1943年)は昭和10年に東京帝国大学工学部長に就任した。軍艦設計の権威で、当時、海軍造船中将。「その肩書にものをいわせ、船舶工学科船型試験水槽・航空工学科試験風洞・工学部附属綜合試験所などの設計計画に積極的に取り組み、次々と実現させていった」という。



船型試験水槽・水槽室。2019(平成31)年4月18日



船型試験水槽・研究室北側。2019(平成31)年4月18日

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東京大学工学部4号館。文京区本郷7-3。2019(平成31)年4月18日

『日本近代建築総覧』では「建築年=1927(昭和2)年、構造=RC3階建、設計=内田祥三、施工=大林組」。主にマテリアル工学科やシステム創成学科が使っているという。1974(昭和49)年の地図には「鉱山冶金燃料工学/鉱山分析工学」と付記されている。
建物は中庭が2カ所ある日形の平面。外観は工学部3号館と同じ系統のデザイン――柱型がパラペットの上に突き出すのではなく、途中の壁に吸収されている。最上階の窓の上にアーチの窪み、縦に筋の入った円柱の柱型を並べた車寄せ等――だ。また、附属病院の多くの棟が同じデザインで建てられている。理工学部1号館・6号館と比べるとゴシック様式としての明瞭な特色が少ないように感じる。

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東京大学工学部3号館。文京区本郷7-3
1989(平成1)年9月10日

弥生門の外から撮った建て替え前の工学部3号館。弥生や池之端を歩いていた時に、ついでに撮ったもので、旧3号館はこの写真しかない。内田祥三の設計で1939(昭和14)年に竣工した。平面は正方形の、弥生門に向いた角を切り落としたような五角形で、中庭の弥生門側に4階建ての部分が張り出している。
セピア色の三号館 電気系同窓会・歴史アーカイブ』というサイトがあって、古いことを知るのに参考になる。『5角形の工学部3号館』には「工学部3号館は昭和16年(1941)〈?〉7月に、電気工学科・船舶工学科の建物として建てられた。地上3階(一部4階)地下1階、延べ面積6,285㎡と記されている」とある。また、「電子工学科」が設置されたのが昭和33年で、そのため研究室などが必要になって4階を増築した。
2010年に3号館を建て直すために解体された。新しい建物は内田ゴシックの外観が復元された。『東京大学本郷キャンパス』(東京大学出版会、2018年、2800円+税)には「建築が連なってつくる外部空間の質がキャンパスにとって重要であるとの認識と、特に歴史的地区においては、建築の外皮だけでも残すべきだという、キャンパス空間特有の価値判断があった」としている。ぼくは無理に復元しなくても、と思ってしまうがどんなものだろう?



新・工学部3号館、南側。2019(平成31)年4月18日

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東京大学工学部13号館
文京区本郷7-3
上:2019(平成31)年4月18日
左:2007(平成19)年12月15日

工学部13号館は本郷キャンパスの北にある弥生門を入ると、右手(北)に見える建物。『日本近代建築総覧』には「東京大学電気工学実験室、建築年=昭和5(1930)年」となっている。1974(昭和49)年の住宅地図には「電気工学第一実験所」、1986(昭和61)年のそれでは「電気工学/経理部」という記載。合金の電気的性質や性能を検査するのだろうか? あるいはより基礎的なことを実験しているのだろうか? 
建物平面は正方形の角の一つを三角形に切り取った五角形の、壁面の半分が窓のない3階建ての建物を中心に、2階に増築の3階部分を乗せた棟と平屋の棟がくっついた形である。実験室とその付属棟からなると思われる。東大の建物の中では変わった外観で、興味を引かれるのだが、これという情報がないのが残念だ。現在は「電子情報工学科、電気電子工学科」などが使っているらしい。
弐號舘>東京大学工学部13号館』というサイトで取り上げられている。



13号館と工学部4号館の間を奥に入って裏側を見る。2019(平成31)年4月18日

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東京大学工学部2号館。文京区本郷7-3。1989(平成1)年10月15日

『日本近代建築総覧』では「東京大学工学部2号館、建築年=大正13(1924)年、構造=RC4階建、設計=内田祥三」。関東大震災以前に建設が始まった建物である。内田が東京大学の中では最初に設計したものという。内田ゴシックと言われるスタイルが確定する前の過渡期のデザインになるかと思う。
『東京大学本郷キャンパス』(東京大学出版会、2018年、2800円+税)に、内田祥三(うちだ よしかず、1885-1972年)が営繕課長になるまでの履歴を簡単にまとめた部分があるので、引用する。

内田は1907(明治40)年に東京帝国大学工科大学建築学科卒業後、三菱合資会社に勤務し実務に携わるが、鉄筋コンクリート構造の研究のため1910(明治43)年大学院入学する。その後1911(明治44)年には講師、1916(大正5)年に助教授となり1919(大正8)年には塚本靖教授より工学部2号館の設計を任される。学外での仕事に精を出す佐野利器教授に代わり学内での業務に専念することで内田の学内での評価は上がり、さらに大講堂の設計も任される。1921(大正10)年には教授となり、さらに1923(大正12)年7月に古在由直総長たっての依頼により営繕課長を委嘱される。奇しくもこの営繕課長兼任の2か月後の9月1日に関東大震災が発生する。

2005年に工学部2号館の改修、増築が竣工した。全体の半分を残し、後ろを撤去してそこに12階建の新建築を乗せた形になった。

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東京大学工学部6号館。文京区本郷7-3
1988(昭和63)年1月30日

『日本近代建築総覧』では「東京大学工学部6号館(旧総合試験所)、建築年=昭和15(1940)年、構造=RC3~4階建、設計=内田祥三」。昭和15年だから内田ゴシックの建物のなかでも遅い竣工だ。その後に農学部3号館が昭和16年で、内田ゴシックの最後の建物になるのかもしれない。
4階の増築が屋上に施工されている。『東京大学本郷キャンパス』(東京大学出版会、2018年、2800円+税)によると、香山壽夫助教授(当時)の設計による。法文1・2号館の屋上増築が1976年、工学部6号館の屋上増築と室内改修が1981年の完成となるようだ。屋上増築部のかまぼこ型にしたデザインは見事に本体と調和していて、外見上は気にならない。
1985年にはいよいよ工学部の拡充も追いつかなくなり、香山助教授による工学部再開発計画案が1986年に出来上がる。予算などの関係で実際に動き出すのは1990年からだ。
6号館は保存されたが、窓枠が新しくなっている。工学部1号館の改修は1996年だが、6号館の改修も同時期だろうか?



東京大学工学部6号館。2007(平成19)年12月15日

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東京大学工学部1号館。文京区本郷7-3。1989(平成1)年10月15日

『日本近代建築総覧』では「建築年=1935(昭和10)年、構造=RC4階建、設計=内田祥三、施工=戸田組」。1974年の住宅地図に「建築工学/土木工学」の記載があるので、主に建築学科が使っているらしい。
下の写真では建物がなんとなく別物に見えると思ったら、窓が改修されているせいだった。『東京大学本郷キャンパス』(東京大学出版会、2018年、2800円+税)によると、1995年から改修に入り翌年竣工した。中庭を室内化し、背面(北側)に5階建てを新築した。外壁も補修し窓枠も取り換えている。この「リノベーション」については『香山壽夫|大学のリノベーション』というサイトに詳しい。


東京大学工学部1号館。2007(平成19)年12月15日

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東京大学工学部列品館。文京区本郷7-3。2012(平成24)年4月28日

東大正門を入ってすぐ左(北)にある建物。向かい側には同じファサードの法学部3号館がある。『国指定文化財等データベース』によれば、内田祥三の設計、1925(大正14)年竣工、鉄筋コンクリート造3階建。関東大震災前に建築が始められている。また、「かつては伊東忠太や関野貞等の収集した中国や朝鮮での調査資料が陳列されていた」とあり、工学部の本部が置かれている、とある。『ウィキペディア』には「列品館と命名されたのは、当初学術標本を展示する博物館として使用する予定であったためであるが、実際に標本等が列品されたことはなく、現在は工学部の事務室として利用されている」とあった。

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東京大学法文2号館。文京区本郷7-3。2007(平成19)年12月15日

上の写真は、正門-安田講堂のイチョウ並木の側が法文2号館の表側とすると、南に向いた裏側で、しかもさらに南に張り出した部分。法文2号館を代表するような写真ではないが、他に撮っていないようである。
法文2号館は『日本近代建築総覧』では「東京大学法文経2号館、建築年=昭和2(1927)~13(1938)年、構造=SRC3~4階建、設計=内田祥三、備考=第Ⅰ・Ⅱ期大倉土木、第Ⅲ期大林組、第Ⅳ・Ⅴ期大林組、大Ⅵ期松本土木」。
国指定文化財等データベース』には「西端部は法学部3号館を意識したL字型の平面構成となる。法文1号館とも、近年4階の1部が増築された」とある。4階の増築は工学部6号館、法学部3号館にも施工されているが、法文1・2号館がその第1期で、1976(昭和51)年の完成。
『東京大学本郷キャンパス』(東京大学出版会、2018年、2800円+税)には、「法文1号を嚆矢とする屋上の増築は、デザイン的には非常に斬新なものであった。設計を担当した香山壽夫助教授(当時)は、旧建築の模型を何度も作っては壊して検討したという(しかし、残念ながら居住性が悪くて住人には不評であった)」とある。

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東京大学法文1号館。文京区本郷7-3
2007(平成19)年12月15日

正門から安田講堂へのイチョウ並木の街路景観は本郷キャンパスの象徴である。その東西軸の街路を挟んで建っている同じ外観の建物が法文1号館と法文2号館。また、両館のアーケードを貫ぬく南北軸のイチョウ並木が、やはり東大の象徴的な景観になっている。
法文1号館は『日本近代建築総覧』では「東京大学法文経1号館、建築年=昭和2(1927)~10(1935)年、構造=SRC3~4階建、設計=内田祥三、施工=竹中工務店、備考=第Ⅰ期竹中工務店、第Ⅱ期大倉土木、島藤、第Ⅲ期大林組、地下1」。1970年代では経済学部もこの校舎を使っていた。各工期がどの部分になるのか分からないが、施工者がそれぞれ異なるのが不思議である。
東京大学>国の登録有形文化財』によると、「西側部分(現在の文学部教室)は、昭和4年2月竣工」ということなので、中央部が第Ⅰ期なのかもしれない。
東大研究室>法文1号館にみる大震災の記憶』によると、法文1号館の場所に震災前には通称「八角講堂」といった法科大学講義室があった。内田祥三はその八角講堂の土台をそのまま利用して法文1号館を建設することにした。そのため、西側の形状が角を削ったような形になったという。

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